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四万十市竹島出身・郷土の偉人

TEL. 0880-33-0247

〒787-0155 高知県四万十市下田2211 若草園内

ニュース/活動報告N,E,W 英語でニュー。更新された目印が点滅して知らせています。

記事一覧(クリックするとジャンプできます)

◆2024年
慈善書画会開催

◆2023年
史料読解学習会⑤  史料読解学習会④
竹島小総合学習  聖音会学習交流  奉加帳の更新  史料読解学習会③  史料読解学習会②  墓石案内看板完成  総会を開催
中村駅伝記贈呈  井沢団地講演会  3小学校に卒業贈呈  中村小卒業贈呈  鍋島小学校調査  オーテピア訪問  音次郎広め隊
史料読解学習会①  十次の会来訪  朝日新聞掲載  高知県庁訪問  城博に日誌贈呈  オーテピアに日誌贈呈  音次郎会年賀状 
2022年 (▼をクリックするとその年の記事が開きます) 竹島小史跡巡り  夢の碑看板完成  竹島小総合学習4  図書館に日誌収蔵  四万十市に日誌贈呈
夢の碑看板、整備中  高知新聞に活動掲載  8月定例会  諸書スキャン完了  若草園に日誌複製版贈呈  宗吾霊堂訪問
日誌複製版の完成  定期総会  日誌複製版の製作  第8回城博作業<最終回>  辞世の句碑案内板完成  辞世の句碑が引っ越す
近隣4校に新伝記を贈呈する  第7回城博との史料整理作業  第6回城博作業  hpアドレス微修正

2021年

小学生と史跡巡り  竹島小5年総合学習  石井十次に学ぶ会を視察  第5回城博との史料整理作業  辞世の句碑移設の検討
音次郎没後81年記念会  活動具体案作戦会議  新伝記の陳列  総会とミニ講演  西土佐で三役会  卒業記念品贈呈
史料公開の新聞記事  書画寄贈者芳名簿の公開  第4回城博との史料整理作業  幡多信さんからご寄付  臨時3役会

2020年

doTERRAボランティア(3)   doTERRAボランティア(2)   児童ペン大賞の新聞記事(2)
doTERRA JAPANによる史料整理作業   児童ペン大賞の新聞記事   鳩サブレーの差し入れ   第3回城博との史料整理作業   新伝記が児童ペン大賞   史料整理の新聞記事   第2回城博との史料整理作業   没80年記念会   小規模に総会を実施
音次郎生誕156年   2020年度 定期総会   2月定例会(城博史料整理) 

2019年

12月定例会   出版祝賀会   伝記出版の新聞記事   ライオンズでPR   10月定例会   幡多信から本贈呈
竹島小学校で授業   「万人の父になる」発売   没後79年墓前祭   講演会の新聞記事   6月定例会   定期総会
4月定例会   城博と今後の打ち合わせ   城博学芸員が来訪   2月定例会「芳名簿の解読1」   音次郎会から年賀状  

2018年

12月定例会「音次郎資料アラカルト」   台湾支部資料が到着   横山充男交流会   竹島小学校へ出前授業
10月定例会「桑原戒平と沖本忠三郎」   書画会芳名録が到着   高知新聞 厚生文化事業団の助成が決定   日誌や書簡寄贈   緊急臨時三役会 開催   没後78年記念 墓前祭   6月定例会「紺屋町佐竹家の系図」   高知新聞K+の幡多偉人伝に掲載   2018年度 定期総会を開催   田内千鶴子⇔佐竹音次郎 交流   第5回定例会を開催  

2017年

第4回定例会を開催   鎌倉訪問事業   第3回定例会を開催   佐竹音次郎没後77年記念 墓前礼拝
第2回定例会を開催   第1回定例会を開催   維新博看板設置される



2024.1.14 Sun 21世紀の慈善書画会を開催
アピアさつきの空き店舗を利用して展示されている絵画。色鉛筆やパステル画で草花や風景が描かれている。素朴な絵たち。絵画の前に音次郎PRコーナーがあり、パンフレット類も置かれている。  神奈川県内のホスピス入所者が動かなくなりつつある身体を奮い立たせて描いた絵を、多くの人に見てもらいたいとのささやかな願いを叶える為に、施設の関係者繋がりで絵画展が持ち回りで開かれていました。その催し物に音次郎会も協賛・共催として21世紀の音次郎慈善書画会を開催しました。

 共催の辞は次の通りです。

「  四万十市竹島出身で「保育の父」と呼ばれている佐竹音次郎は医業のかたわら腰越小児保育院を設立し、子供だけではなく社会的に困っている様々な人を受け入れて生活を共にしました。のちに著名人から書道作品や絵画作品を寄贈して貰って「慈善書画会」を開き、事業資金を得ました。音次郎と絵画展覧会にはそのような関連性もあります。描かれている草木や風景は中村でも感じる事が出来るものです。上杉さんや音次郎の思い、また故郷の自然を感じる絵をごゆっくりお楽しみください。
 音次郎会としても、ホスピスで暮らしておられる上杉さんの小さな願いを叶える為に、アピアさつきさんにも会場提供をして戴いて、21世紀にも再び慈善書画会ができることを歓迎します。 」

 会場には音次郎PRコーナーも設置して多くの人がパンフレット類を持ち帰ってくださり、保育の父のPRにもなりました。

開催期間:2024年1月14日(日)~23日(火)
会  場:アピアさつき 1F 区画108

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2023.12.19 Tue 史料読み解き学習会⑤を開催
アピアさつきホールで5回目の読み解き学習会をしている様子。弓なりに並んだ会議用テーブルに着席した人々。机上には読み解く原本が並んでいる。中平会長が前に立って説明をしている。
 今回の題材は、音次郎が昇に出した手紙と、その近辺の日誌です。

 主題は鎌倉保育園で養育している子(愛子)の母が見つかったので母子対面をする為に準備をしている頃、音次郎が「保育の父」と呼ぶにふさわしい言動を史料から読み解きました。

 きっと愛子からお願いされたのでしょう。何らかの理由で旅順支部で昇と暮らしている愛子の母が音次郎の人脈により居場所が判ったところです。この大分県のある町長からの吉報ですが、大分県は津田僊の故郷です。また書画の寄付に応じた人物にも元田肇(第25代衆議院議長、逓信大臣、初代鉄道大臣)、箕浦勝人(新聞記者、衆議院議員、逓信大臣)などの大分県出身者が登場します。音次郎は愛子の願いを叶える為に八方手を尽くしただろう事が覗えます。

「史料読み解き学習会⑤のごあんない」のリーフレット映像。誦む(よむ)の古書体文字。その下には日本画家 鏑木清方の絵画『孤児院』(鎌倉市 鏑木清方記念美術館 収蔵作品)がある。チラシの右上にはホームページに繋がるQRコードが印刷されてある。本文:新版『聖愛一路』49~50pの一文です。「彼(音次郎)は孤児院の名を嫌った。例え立派な親がなくても自分という親ができている」。これまでの読み解き学習会では関東大震災や、総理大臣経験者からの寄付金援助の話しや、法人運営の人事の話しなど、鎌倉保育園の周辺部分を取り上げ続けた反省があります。今回は「保育の父・佐竹音次郎」に学ぶ、会です。なぜ彼は「保育の父」なのか?音次郎が子供に「実際にどう働きかけたか?」を知る手紙と、日誌を紐解きます。当日は読み解きの時間に加えて解説の時間も持ちます。現代の保育理念に対しても大いに刺激が与えられるでしょう。みなさまのご参加をお待ちしております。
対象史料:昭和4年(1929)11月3日 音次郎から昇らへの手紙、日誌(原本)16 昭和4年(1929)10月28日と11月19日
日時:2023年 12月 19日(火) 13:30-15:00
場所:アピアさつき 1F apiaホール (四万十市右山五月町8-13)場所が判りづらくて申し訳ございません。社協さんの玄関側にある北側駐車場のすぐ横にあるお部屋です。カーブスの隣です。
お問い合せ先:音次郎会事務局 ℡ 33-0247(若草園) 当日のチラシ ⇒
(クリックすると拡大して読むことができます)

 11月19日の日誌を詳しく読んでいますと、母子の対面は10年ぶりである事、音次郎は10年前に愛子の母とは会っている事、しかし愛子にとっては母に会えるのは生まれて初めてである事が判ります。また、愛子の母に対して音次郎が「更生」との言葉を用いている事から、愛子の母は女囚であった事が推測されます。つまり板垣退助が政界を退いて後、夫人を中心に活動していた女囚の要保護児童支援活動を音次郎が引き受けていたその一例である可能性が高いのです。「母子初めての対面」という記述から、愛子の母は獄中で出産したのではないか、との推察できます。

 音次郎はこの母子初対面に奔走していたのでした。

 史料読解学習会③(2023年6月実施)で、音次郎と板垣退助の繋がりを学んだ時に、日誌(活字版)で板垣退助と読まれていた部分は読み間違いである事が発見されました。音次郎と板垣との繋がりは確実ですので、「この1点においては悲観するものではなく、むしろ歓迎。歴史研究というものは進めば進むほど新たな発見があるものだから」との総括をしておりました。

 その、一見空振りに思われた板垣退助との繋がりが、ここではっきりと見えてきました。これからも読解学習会を重ねるごとに、様々な発見ができる希望が見えた第5回の学習会でした。(8名参加)

対象史料:昭和4年(1929)11月3日 音次郎から昇らへの手紙
     日誌(原本)16 昭和4年(1929)10月28日と11月19日
日 時 : 2023年 12月 19日(火) 13:30-15:00
場 所 : アピアさつき 1F apiaホール (四万十市右山五月町8-13)

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2023.10.27 Fri 史料読み解き学習会④を開催
アピアさつきホールで4回目の読み解き学習会をしている様子。写真上(左)は今回読み解きをする原本と、中平会長が過去に執筆した乾綾雄氏の追悼文。右は、乾綾雄氏から渥美武男氏に寄贈されこの夏に音次郎会に寄付された書画の一部。写真下は大型液晶モニターが設置されていて乾綾雄氏と次男の嫁と孫の古い写真  今回は音次郎の晩年、これまで牽引してきた児童福祉事業をどう継承していくか、後継者について音次郎が考えを述べている音次郎信書を読みました。

 学習会も形になってきましたので、今回からはさらに中身の充実を図る事にしました。2~3回目は学習会の中で自力で読み解いていましたが、第1回から出席してくださっている地方文書学習会のメンバーにご協力いただいて、事前に読み解き結果を持った上で開催しました。

 その理由は、参加者全員この読み解きをすることは、極めて専門的な内容でもあり、古文解読が苦手な方に苦痛をしいる事になります。これは参加者が何かを得ると言うよりも音次郎会が解読結果を得ますので「学習会」と言うよりも「ボランティア作業」になるからです。これが前回開催から4ヶ月も時間がかかってしまった理由でもあります。

 今回採り上げた手紙は、鎌倉保育園が旅順支部からはじまって海外支部が広がる中、乾綾雄氏に将来的に通訳として就任してもらう為に親戚筋なども含めて根回しをしている内容でした。中平会長から乾氏と鎌倉保育園との関わりや、その後の事について解説がありましたが、結果的に家庭の事情等により乾氏は鎌倉保育園を早期に辞することになります。

 その後、乾氏は最大の音次郎研究家として音次郎の故郷で活躍します。伝記2冊と、漢詩の研究本も自費出版されています。この漢詩への拘りは今まで不可解だしたが、今回、解読した手紙によって、乾氏は何故ここまで漢詩に拘ったのかが分かるようになりました。同時に、音次郎が日誌を漢文で書くことに取り組んで居たことも、状況的に理解が進みました。

「史料読み解き学習会④のごあんない」のリーフレット映像。誦む(よむ)の古書体文字。その背景にはジャニーズ事務所のビル、ビッグモーターの看板、今回の課題となる手紙の写真一部、カンボジアの2世大統領の写真が並んでいる。本文:今回は音次郎の晩年、これまで牽引してきた児童福祉事業をどう継承していくか後継者について音次郎が考えを述べている音次郎信書を読みます。今年のニュースでは世襲問題・同族経営問題に触れられることが多くありましたが、その事に対して音次郎はどう考えていたかを見たいと思います。みなさまのご参加をお待ちしております。
対象史料:昭和6年8月26日付 音次郎から昇への手紙
日時:2023年 10月 27日(金曜)13:30-15:00
場所:アピアさつき1F apiaホール(四万十市右山五月町8-13)
お問い合せ先:音次郎会事務局 ℡ 33-0247(若草園)。チラシの左下にはホームページに繋がるQRコードが印刷されてある。         当日のチラシ
      (クリックすると拡大して読むことができます) ⇒

 当日は音次郎が慈善書画会で頒布していた著名人の書や画も初披露しました。これは乾綾雄氏が、音次郎長女の長女の夫(つまり音次郎の孫婿)が中村に転居して同郷となった事に対して贈呈した貴重な書画です。作者は例の奉加帳に名前がある方もありました。実物をすべて持ち込むと大変でしたので1点のみとして、他の9点はレプリカを作成しました。

 また、当日は今回研究した登場人物の主人公である乾綾雄氏のお孫さんである水野雪絵氏も遠路、駆けつけて参加してくださいました。(11名参加)

対象史料:昭和6年8月26日付 音次郎から昇への手紙

日 時 : 2023年 10月 27日(金曜) 13:30-15:00

場 所 : アピアさつき 1F apiaホール
     (四万十市右山五月町8-13)







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2023.10.10 Tue 竹島小学校史跡巡り
2023年10月10日竹島小学校5年生 竹島に存在する佐竹音次郎史跡巡り。学校をスタートに近隣を一巡する地図と、史跡の写真が散りばめられているマップ

             ↑クリックすると別画面で拡大してみることが出来ます

 音次郎会では音次郎の古里での「ふるさと学習」にも力を入れておりますが、今年も四万十市立竹島小学校5年生の総合学習の時間に、小学校近隣に存在する音次郎史跡巡りの授業を担当しました。

 今回のテーマは「ふるさと竹島に今も生きる保育の父・佐竹音次郎」。音次郎会では去年と今年にかけて史跡巡りをやりやすいように案内看板の設置を進めてきましたが、その案内に沿った形でのはじめての史跡巡りとなりました。

 上に掲載した史跡巡りマップの通り、小学校の総合学習ですので竹島近隣の全般的なふるさと学習の内容も含まれております。

 なお、音次郎に関する史跡の情報は、このホームページの佐竹音次郎の紹介のページの「史跡を訪ねる」にて詳しく学ぶ事ができます。

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2023.10.6 Fri 聖音会との学習交流
左から聖音会佐竹昇平理事(さがみのホーム施設長)、事務局瀬戸、中平会長。和やかに笑顔で学習する様子と、すまし顔での記念写真が上下に並んでいる。下は、新ロイヤルホテル四万十の掘り炬燵がある個室で会食をする栄光会、聖音会、音次郎会のメンバー6人
 音次郎が開設した鎌倉保育園の後身である鎌倉児童ホームの運営法人「聖音会」では11月9日に職員研修を実施されるとの事です。内容は音次郎の「聖愛主義」についてで、このほど、音次郎会発足後の音次郎研究成果を研修内容に盛り込むために、さがみのホーム施設長であり法人理事であり、また今回の講義を担当もされる佐竹昇平氏が音次郎会を訪問され、講演内容を深められました。

 すでに仕上がっていたカリキュラムは音次郎会としても大変参考になるような内容であり、音次郎の活躍した現場である鎌倉と、ふるさとの中村において切磋琢磨しながら音次郎の「こころ」を深めるかたちとなった今回の来訪は、私たちにとっても大変よろこばしいものとなりました。

 音次郎の古里である中村には1957年(昭和32)に設立された若草園があります。鎌倉保育園は若草園が経営危機に陥った時に手を差し伸べ、29年半にわたって鎌倉保育園中村支部として運営を支え、現在の栄光会として独立法人の道備えをしてくださいました。聖音会と栄光会とは遠隔地災害協定を結んでおり、現在でも姉妹施設のような関係にあります。

 学習後は、栄光会渡辺理事長、若草園福留園長も加わり、音次郎会中平会長、小椋副会長、事務局瀬戸で交流会食の時も持ちました。











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2023.8.17 Thu 奉加帳一覧表データの更新
                       「Mix版奉加帳」(↓クリックすると別画面で拡大してみることが出来ます)
芳名簿(鎌倉小児保育園慈善書画会賛助芳名録 第1回)1ページ目の映像と、それが活字化されたページが左側にある。松方正義(第4&6代総理大臣)、東久世通禧(侍従長、伯爵、元老院)、曽祢荒助(第2代 韓国統監、10代 大蔵大臣、第7代 司法大臣)、宗重望(日本画家、伯爵、貴族院議員、対馬藩主)、金井之恭(幕末の志士、明治3筆の一人、元老院)の名前、出身地、日誌や人名事典での登場個所も表示されている)
 保育の父・佐竹音次郎の「鎌倉保育園 慈善書画会賛助 芳名簿」は2021年3月に公開されていました。

 その後、読み解けない部分を解読してくださる方を募集しておりました。このごろ、板垣退助研究家である公文豪氏のご協力により多人数の芳名簿読み取りデータ提供を受けました。それを受けて事務局で一覧表の更新と、重複して登場する人物の列挙を試みました。

 2冊の奉加帳に記載されている人名は全部で652人(第1回 459人、第4回 192人)。これまでに466人が解読できていました。今回、公文氏のデータを編入しつつ精査しながら一覧表を整備したところ、読み間違っていた人物などの訂正もあり、570人まで判明しました。残り82人が難解な崩し字などで読めておりません。

           ⇒第1回書画会のダウンロード(38.1Mb)    ⇒第4回書画会のダウンロード(17.9Mb)

【 Mix版奉加帳の見方 】
 Adobe Acrobat Readerで閲覧する場合、縦書き右綴じ文書ですので環境設定が必要になります。「編集(E)→環境設定(K)」でメニューを開いて、分類(G)言語にある「アプリケーションを表示する言語(A):日本語」、「デフォルトの読み上げ方向(D):右から左」に設定してください。ソフトの仕様により、上記設定をした後、いったん閉じて開き直さなければ右綴じが反映されませんのでご注意ください。他の左開き横書きの文書を開く際は元に戻す必要があります。お手数ですがよろしくお願いいたします。

 従来の実写映像のみのファイルと一覧表も更新して研究材料のページに保存しております。

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2023.6.10 Sat 史料読み解き学習会③を開催
日産サティオ高知四万十店会議室で3回目の読み解き学習会をしている様子。写真上の正面中央には大型液晶モニターが設置されていて板垣退助の肖像が写っている。その右で板垣退助の略歴を説明している中平会長。写真下はスクール形式の会議テーブルに人が座っている。机上には資料と鳩サブレーとお茶。  今回は音次郎が奉加帳を用いて書画の寄付を募り、その売り上げで子供の養育費にしようとした取り組みが活発になる頃の音次郎日誌を読み解きました。音次郎が足繁く協力人の家々を訪問していたことがよく判りました。

 案内用チラシには、音次郎は果たして現存していれば国宝級の価値がある板垣退助の書画を手に入れることが出来たか否か、と煽っていましたが、今回、じっくりと読み解いた結果、この日の日誌には板垣退助は登場していないことが判明しました。

 日誌(新版)つまり活字にされている日誌は1976[昭和51]年発行 鎌倉保育園事業80周年記念誌で、日誌(原本)の3割程度が収録されています。今回の対象史料の日付の部分は、今まで「板垣伯爵」と書かれていると思われていましたが「楢原伯爵」でありました。

 しかし、音次郎と板垣の接点はここだけではありませんので音次郎会としては悲観していません。むしろ読み解き学習会を通して新しい事実が発見される事が喜ばしいことです。

 当日も説明しましたが、音次郎は著書『結核征伐』を執筆した時に板垣退助から序文をもらっていて、同郷人として協力関係にありました。板垣は政界を引退した後、夫人が中心となり女囚の新生児を鎌倉保育園などで養育して貰うなど児童福祉に傾注していました。鎌倉保育園80周年記念誌を編纂する時にその強い関係が印象にあったので、音次郎の肉筆を読み間違ったのでしょう。

 この日、学習会に参加した人達は今までの定説が打ち破られた歴史的瞬間に立ち会うことが出来たのです。(11名参加)

対象史料:音次郎日誌原本(3) 明治44年(1911)2月13日
日 時 : 2023年 6月 10日(土) 13:30-15:00 <5/10 保育の父・佐竹音次郎生誕159年記念>
場 所 : 日産サティオ高知四万十店2F会議室(四万十市古津賀4-7)

「史料読み解き学習会③のごあんない」のリーフレット映像。誦む(よむ)の古書体文字。その背景には鎌倉保育園書画寄贈者芳名簿の映像があり、板垣退助の署名(代筆)がある。本文:新版『聖愛一路』70pの一文です。~筆を執(と)らないので有名な板垣伯(伯爵)までが喜んで彼(音次郎)のために揮毫(きごう)を約束してくれた。~ 今回は奉加帳を用いた書画会を開催している頃の音次郎の交友関係が書かれた部分を扱います。板垣退助の書画が現存すれば国宝級となるでしょう。音次郎は国宝級を手に入れることができたのか、できなかったのか? 読み解きの時間に加えて解説の時間も持ちます。みなさまのご参加をお待ちしております。  当日のチラシ
(クリックすると拡大して読むことができます) ⇒














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2023.5.8 Mon 史料読み解き学習会②を開催
アピアさつきで2回目の読み解き学習会をしている様子。右上にはapiaと書かれたビルの屋上にある大きな看板の写真。その左横には「音次郎会」の看板が貼られた会議室の玄関。ロの字になった会議テーブルに「ここ狭し」と人が座っている。机上には資料と鳩サブレー。正面中央には大型液晶モニターが設置されていて書画会の奉加帳1ページが写っている。
 今回は音次郎が始めた保育事業が本格的・専心的になる鎌倉保育園移転の頃の音次郎日誌を読み解きました。奉加帳を用いた書画会を開催するきっかけにとなる興味深い時期です。

 今まで高知県立高知城歴史博物館さんに支援を頂いておりましたが、それを活かして、初めての取り組みですが音次郎会で読み解き学習会を実施しました。

 古文の読み解きを専門で取り組んで居られる「地方文書学習会」メンバーの応援出席などもあり、参加者の互助協力により、すこしのページ数ですが読み解きが出来ました。千里の道も一歩からです。

 今回は登場人物が多い部分でしたので、会場に映像装置を持ち込んで、書画会で音次郎と関わりがあった人物らがどのような経歴の持ち主であったのかを簡単に紹介する時間も持ちました。参加された方からは「こんなに錚々(そうそう)たる人達に音次郎の事業が支援されたとは、たまげた」との声も聞こえました。(15名参加)

対象史料:音次郎日誌原本(1) 明治38年10月17日
日 時 : 2023年 5月 8日(月) 13:30-15:00 <5/10 保育の父・佐竹音次郎生誕159年記念>
場 所 : アピアさつき 屋上事務室横 会議室 (四万十市右山五月町8-13)

誦む(よむ)の古書体文字。その背景には鎌倉保育園書画寄贈者芳名簿の映像がある。「史料読み解き学習会②のごあんない」のリーフレット映像。本文:今回は音次郎が始めた保育事業が本格的・専心的になる鎌倉保育園移転の頃の音次郎日誌を読みます。奉加帳を用いた書画会を開催するきっかけにとなる興味深い時期です。みなさまのご参加をお待ちしております。対象史料:音次郎日誌原本(1) 明治38年10月17日。日時:2023年5月8日(月)13:30-15:00<5/10は保育の父・佐竹音次郎生誕159年記念日>。場所:アピアさつき 屋上事務室横 会議室 (四万十市右山五月町8-13)。お問い合せ先:音次郎会事務局 ℡ 33-0247(若草園)。チラシの左下にはホームページに繋がるQRコードが印刷されてある。  ← 当日のチラシ(クリックすると拡大して読むことができます)
















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2023.4.27 Thu 墓の碑案内看板が完成
完成した音次郎の墓案内看板
 音次郎会では保育の父・佐竹音次郎の郷里・竹島に点在する史跡への案内看板を順次設置しておりますが、墓の碑案内看板が完成しました。

 竹島墓地は菩提寺の裏山にありますが、古い墓は山の尾根伝いに北へと続いています。音次郎の墓は一番北の端ですが、途中で分かれ道があり、探訪する人が不安になります。

 今回、旧竹島神社の夢の碑看板足元から、順番に矢印看板を辿っていけば到着できるように工夫しました。

 右の看板のアップ写真をクリックすれば、音次郎の墓を擬似的に訪れることが出来ます。

  クリックして墓参りへGo! ⇒⇒

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2023.4.15 Sat 2023年度定期総会を開催 11人が会議室に集まっている。向こうにある黒板には「定期総会」というポスターが貼られている。
 4月15日(土曜日)13時半から音次郎総会を開催しました。

 今年のお茶菓子はいつもの鳩サブレーではなく別のものがふるまわれました。鎌倉の音次郎縁者からの差し入れです。

 総会の詳しい内容は事業活動計画をご覧下さい。

 会場:アピアさつき 2階事務室横会議室

 11名参加

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2023.4.11 Tue 中村駅待合室書架に新伝記を寄贈する
新伝記を受け取る土佐くろしお鉄道中村駅の職員と手渡す中平会長。その下には贈呈した本の内扉の写真。句が印刷されている。「ふるさとの 心をむねに いつまでも」四万十市竹島出身の佐竹音次郎は、明治・大正・昭和の激動の時代に孤児院を保育園と変え子供のために全生涯を捧げました。この伝記をここにプレゼントします。贈呈 保育の父・佐竹音次郎に学ぶ会 2023年3月  中村出身の児童文学作家・横山充男著「万人の父になる-佐竹音次郎物語-」を2部、中村駅待合室で自由に読んで頂けるように土佐くろしお鉄道へ贈呈しました。

 音次郎会では故郷学習にも協力しています。

 音次郎の生きた時代の移動子通手段は航路が中心でそれを下田港が担っていたでしょう。現代の上京や旅立ち、帰省の出会いと別れ、再会の場面を演出する舞台の1つにその中心を担っているのは「駅」でしょう。中村駅でこの伝記を手にした人が、故郷のことを生涯にわたって思い続けた音次郎のように、それぞれが望郷心を豊かに育んで下されば、との願いです。

 中村駅は2010年3月にリノベーションされ、とても美しく居心地の良い待合室が完成しました。地域特産の四万十ヒノキを多用し、お客様に優しい駅に生まれ変わりました。ブルネル賞2014 優秀賞、グッドデザイン特別賞2010 中小企業庁長官賞をはじめとして15件の受賞歴があります。
 くわしくは
土佐くろしお鉄道(中村駅)ホームページ
土佐くろしお鉄道ブログ
 をご覧下さい。

 この中村駅待合室からも中村の先人・音次郎を知る人が増え、中村から都会に出た人達が里帰りをたくさんして、鉄道を利用して中村に再び訪れる人も増えることを願っています。

←本の内扉に印字されたメッセージ
 ふるさとの
  心をむねに
   いつまでも
     (中平菊美・作)
四万十市竹島出身の佐竹音次郎は、明治・大正・昭和の激動の時代に孤児院を保育園と変え子供のために全生涯を捧げました。この伝記をここにプレゼントします。

贈呈 保育の父・佐竹音次郎に学ぶ会 2023年3月


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2023.4.11 Tue 井沢団地学習会の講演に招かれる
井沢団地地区集会所と、その前の桜の木が生えている公園の写真。桜はちょうど満開になっている時の写真。 開会のあいさつをする芝区長と、導入部の話をする小椋副会長。 音次郎夫妻の映像を背に話をする中平会長 左右2つのモニターの中央に立って話をする中平会長。話しを聞く10名ほどの背中が写っている。

 井沢団地地区の健康福祉委員会で音次郎の学習会をする事になり、音次郎会から訪問しました。井沢団地は竹島小学校校区の北端に位置し、約100世帯の集落です。16人の地区住民と四万十市社会福祉協議会の職員1人の参加がありました。

 各地区の健康福祉委員会の活動には健康増進の為の運動プログラムがあったり、地域住民にとって興味深い郷土学習があったり、工夫ある取り組みがなされています。

●講演内容
1 保育の父・佐竹音次郎の経緯
 冒頭に音次郎会発足の経緯を井沢団地の住民でもある小椋副会長から話していただきました。
 ⇒このホームページ「音次郎会について」設立の経緯の内容
2 音次郎の魅力
 次に、中平会長が竹島小学校在職時に保育の父と出会った時の驚きと感動を伝えました。
 ⇒このホームページ「研究材料」にある2015年 設立講演会(中平菊美副会長[当時]の内容。 3 音次郎の足跡とふるさと学習
 そして事務局から小中学校道徳副読本「高知の道徳」を用いて音次郎の基本的な足跡と故郷学習として取り組む意義について話しました。
 ⇒このホームページの「佐竹音次郎の紹介」の中の「音次郎をもっとくわしく知る」に掲載の読本。

 音次郎会では保育の父の足跡を学び、後世に伝える目的もあります。学習会の形態に合わせて内容を対応させますので、他の地区学習会や研修などで「福祉のこころ」をテーマとされる場合は是非とも音次郎学習もご検討ください。

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2023.3.24 Fri 音次郎故郷3校で新伝記を卒業記念品とする


 今年も音次郎ゆかりの4校に卒業記念品として「万人の父になる-佐竹音次郎物語-」(横山充男著)を贈呈しました。

 竹島小学校は13人が卒業しました。音次郎は養子先が夫婦不和となり実父によって生家に呼び戻されました。そして少しの期間だけ開校したばかりの竹島小学校に通わせてもらったり、後に助手として務めたりしました。竹島小学校の卒業生にとって音次郎は彼らの大先輩になります。

 下田小学校は8人が青春の海原へとこぎ出しました。下田は大正時代まで港町として県内でも屈指の栄えた港でした。音次郎の時代、中村から県内外に出掛ける時は必ずと言ってよいほど下田港の航路を利用しました。

 八束小学校では6人の児童に新伝記を贈呈しました。八束は、音次郎が鍋島小学校の教師となり自立するようになったので、八束村名家の分家の婿として迎えられた場所です。

 音次郎会では引き続きこの活動を継続したいと考えています。その為のスポンサー企業も募集しております。

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2023.3.19 Sun 中村小学校卒業式で新伝記を贈呈する

 この日10時から、高知県立四万十市立「中村小学校」の卒業式が同校の体育館で執り行われました。今年は感染蔓延に留意しながらほぼ平年通りの式次第で進行されました。この中で卒業生41人に1人1冊ずつ「万人の父になる-佐竹音次郎物語-」を贈呈しました。

 卒業生代表がプレゼントを受け取る様子を動画にしております。

 中村小学校は音次郎が7歳で紺屋町に養子に出された翌年、開校しています。音次郎が中村小学校第1期生だった可能性があります。この事は読み物シリーズ8「学制150年と音次郎の勉学」で詳しく論じております。ご参照ください。

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2023.3.6 Mon 鍋島小学校調査を開始する
佐竹音次郎 任七等訓導 但鍋島小學校勤務 高知縣大書記官正七位村上義雄奉 明治十六年二月一日 写真上:上鍋島に現存する善楽寺の映像。階段が4段あり左右に高さ2.5mほどの門柱。境内の向こうに一般住居のような寺の本堂が写っている。背後の山には墓地がある。写真下:津波避難路、鍋島名本屋敷の看板の写真。
 鎌倉保育園発行「年表と写真に見る百年史」には保育の父・佐竹音次郎の生い立ちにも詳しく触れられています。その中に、紺屋町で佐竹姓を名乗るようになって、その後生家の宮村家に戻されてから教員免状を得ていますが、その赴任先には「鍋島小学校」と記されています。

 そこで音次郎会では「鍋島小学校がどこにあったのか」、調査を始めました。

 音次郎は紺屋町の養子先から竹島の生家へ戻った後、竹島小学校へ2年ほど通い、助手を経て苦学の末に教員免状を取り、鍋島小学校に赴任しました。鍋島小学校の存続年数は1875(M8)年~1887(M20)年の約12年間と短かったため、鍋島地区のどこに存在していたのかが今のところ不明です。

 鍋島の高齢者に順次、聴き取り調査をしていますが、鍋島小学校が存在していたことすら知っている人は居ません。

 引き続き、捜索をしたいと思います。この件に関して情報の糸口がございましたら音次郎会までお知らせ下さるとありがたいです。

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2023.2.24 Fri オーテピア高知図書館を訪問
オーテピア高知資料コーナーの音次郎特別展示棚前に並ぶ音次郎会のメンバー  2023.1.10 Tue 音次郎会では県庁訪問し、日誌複製版を濵田知事に贈呈しました。その後、オーテピア高知図書館では収蔵されている音次郎資料を展示して2.1~3.31まで「保育の父・佐竹音次郎」展をして下さっています。

 今回、音次郎会に余裕がある書籍4冊を追加して贈呈するため、訪問しました。

 訪問には、日誌複製版製作作業に絶大なる労力を発揮して下さったボランティア2名と共に赴きました。

「保育の父・佐竹音次郎」
場所:オーテピア高知図書館3階 高知資料コーナー展示B(棚番号77)
展示期間:2023/2/1-3/31
四万十市に生まれ、児童福祉に尽くした佐竹音次郎を紹介しています。
「保育の父・佐竹音次郎に学ぶ会」から寄贈いただいた「佐竹音次郎日誌」複製版の展示も行っています。

 オーテピアツイッターはこちら



オーテピアのエスカレーターから撮影したオーテピア館内の写真。向こうの壁が見えないほどたくさん本棚が並んでいる。
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2023.2.12 Sun 音次郎さん広め隊
舞台の上に立つ竹島小5年生3人。上には「第3回 ふるさと発見!四万十の子ども研究発表会」の看板がある。1人の男児が右後ろを振り返り、スクリーンに映された「佐竹音次郎 広め隊」の文字を見ている。中村駅待合室の木製カウンターの端に置かれた音次郎広め隊のコーナー。音次郎新聞や、リーフレット、音次郎マップ、音次郎ソングの楽譜がスタンドに陳列されている。下にはプラ板で製作されたキャラクターキーホルダーもある。
 2022.11.4 Fri2022.11.8 Tue 音次郎会が竹島小学校5年生の総合学習の応援をしましたが、子供たちが地道に取り組んできた学習成果が「音次郎さん広め隊」として、この日、竹島小5年生3人によって四万十市立文化センターで発表されました。

 催し物は四万十市教育委員会が主催の「第3回 ふるさと発見!四万十の子ども研究発表会」で、四万十市内の小学校15校がそれぞれの校区にまつわるふるさとの魅力を発掘し、発表しました。どの発表もすばらしかったのですが、とりわけ、竹島小学校の保育の父を扱った発表が、一番良かったと思います。(音次郎会のひいき目?)

 音次郎をPRするために音次郎マップや、小冊子、子供たちで作詞作曲した「音次郎ソング」まで制作され、市内各所に贈呈されました。

 中村駅ではグッドデザイン賞を受賞した美しい待合室の一角に、音次郎さん広め隊コーナーが完成しました。

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2023.2.11 Sat 史料読み解き学習会①を開催
会議室に学校のように机が並んでいる。黒板には保育の父・佐竹音次郎に学ぶ会、高知城歴史博物館学芸員さんといっしょに学ぶ、史料読解学習会、の文字幕が張り付けられている。中平会長と城博さんが皆の方を向かって椅子に座っている。数人の背中が見える。机上には資料や筆記道具が並んでいる。 第1回読み解き学習会の題材。佐竹音次郎日誌(11)の大正12年9月1日土曜日のページの画像。毛筆で社用便箋にびっしりと書かれている。
 県立城博さんとの史料整理作業は2022年に完了し、いよいよ中身の読み解きがはじまりました。記念すべき第1回目を城博さんのご教授を受けつつ行いました。

 阪神淡路大震災から28年、東日本大震災から12年が経過しました。南海トラフ地震は30年以内に70%の確率で発生すると言われています。初回の取組としては時事問題としても興味深い関東大震災のその日の音次郎日誌を題材に挙げてみました。

 今回の題材は種明かしをすれば活字版の音次郎日誌(鎌倉保育園80周年記念)に、ほぼ、すべてが掲載されています。これから読み解き学習をするにあたり、旧字体、古い言い回しなど、難しい面があることがよく判ったと思います。

 これからも継続して開催する予定です。

日時:2023年2月11日(土)13:30-16:00
会場:アピアさつき屋上事務室横会議室
   日産サティオ高知 四万十店2F会議室
 16名参加
誦む(よむ)の古書体文字。その背景には壊滅的被害を受けた鎌倉保育園の映像がある。高知城歴史博物館学芸員さんといっしょにまなぶ「史料読み解き学習会①のごあんない」のリーフレット映像。本文:県立城博さんとの史料整理作業は2022年に完了し、いよいよ中身の読み解きがはじまります。記念すべき第1回目を城博さんのご教授を受けつつ行います。対象史料:音次郎日誌原本(11)大正12 9月1日。概略:阪神淡路大震災から28年が経過しました。南海トラフ地震は30年以内に70%の確率で発生すると言われています。初回の取組としては時事問題としても興味深い関東大震災のその日の音次郎日誌を題材に挙げてみました。どうぞご参加ください。日時:2023年2月11日(土)13:30-15:00。会場:アピアさつき屋上事務室横会議室(四万十市右山五月町8-13)。お問い合せ先:音次郎会事務局 ℡ 33-0247(若草園)。チラシの左下にはホームページに繋がるQRコードが印刷されてある。









 ← 当日のチラシ(クリックすると拡大して読むことができます)














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2023.2.7 Tue 石井十次の会(岡山)来訪
会談する音次郎会役員と十次の会役員ら辞世の句碑、夢の碑の前で記念撮影をする十次の会のメンバー
 2021.12.8 Wed 音次郎会では岡山の「石井十次に学ぶ会」を訪れ、孤児の父と呼ばれた石井十次がはじめて孤児を預かり受けた医院跡地などを見学しました。

 それ以来、お互いの会報をやり取りするなど交流をしておりますが、この日、十次の会から東森夫妻と叶原夫妻が音次郎会を訪問してくださり、近況報告と史跡案内をしました。また、昼食を共に持ちよい歓談の時となりました。

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2023.1.15 Sun 知事訪問が朝日新聞にも掲載
日誌を手に記念撮影に応じる濵田知事と中平会長  県庁での日誌複製版贈呈の様子が朝日新聞(高知版ページ)にも掲載されました。

 記事は朝日デジタルのこちらから閲覧する事ができます。

 左の写真は音次郎会事務局が撮影した、高知新聞記者、朝日新聞記者、県庁職員がにぎにぎしく記念撮影をしている様子です。









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2023.1.10 Tue 高知県庁訪問
高知県庁知事室応接室での歓談風景。中平会長から反時計回りに、濵田省司知事、長岡幹泰教育長、渡部淳城博館長、土森県議、石井県議、瀬戸雅弘、小椋茂昭、中平菊美贈呈した日誌をそれぞれが手に記念撮影。左から、石井孝、小椋、濵田知事、中平、瀬戸、土森正一。
感謝状を手に濵田知事と中平会長  音次郎研究の基礎資料となる日誌複製版は膨大な量ゆえに音次郎会だけでは読み解くのが困難です。多くの歴史研究家の協力を求めています。

 昨秋、音次郎会では日誌複製版を四万十市へ贈呈し、図書館にて公開されました。その後、さらに人口の多い県都・高知市の各施設においても日誌が収蔵され、多くの歴史研究家の目に触れられないものかと検討してきました。

 この度、その夢が叶えられ、県下3施設で日誌複製版が収蔵される事となり、保育の父研究ばかりではなく明治~大正~昭和の時代を語る史料としても有効に活用される手はずが整いました。

 県庁にて贈呈式を開催して下さり、知事からは音次郎会に感謝状が贈られました。ご協力くださった皆様に感謝申し上げます。
(感謝状の写真は高知県教育委員会幼保支援課に提供して頂きました)

・2022.11.15 Tue 中村選出の石井県議を通じて、高知県へ日誌複製版を贈呈したい意向を伝える。
・  11.24 Thu 県教育委員会(幼保支援課)が窓口となり贈呈へ向けての打ち合わせが始まる。
・2023.1.10 Tue 県庁にて知事へ贈呈。県教委の先導により関係機関へも贈呈に赴く。


 贈呈式に関する詳しいデータはこちらをhttps://www.pref.kochi.lg.jp/press1/2023010400071/ご覧下さい。

 贈呈式の様子は高知新聞に掲載されました。記事はクリックすれば別画面で拡大してみることができます。記事の引用については高知新聞社 アーカイブ企画部に許諾済みです。
◆佐竹音次郎日誌複製 県に寄贈
四万十市竹島出身で5千人以上の子どもを育てたとされる保育事業家、佐竹音次郎(1864~1940年)を顕彰する「保育の父・佐竹音次郎に学ぶ会」(中平菊美会長)は10日、音次郎が記した日誌の複製本3セットを高知県に寄贈した。県立高知城歴史博物館と県立歴史民俗資料館、オーテピア高知図書館に収蔵される。
 同市の有志でつくる同会は、音次郎が明治後期から昭和初期に記した日誌をデータ化し、31冊の複製本に整理。会員だけでは音次郎の生涯や業績の研究に限界があることから、多くの県民の目に触れるよう寄贈先を探していた。
 県庁での寄贈式で、中平会長から複製本を手渡された浜田省司知事は「1万ページの膨大な記録をまとめていただいた尽力には頭が下がる。音次郎の功績を多くの県民に知ってもらえるよう努力したい」と応じた。
 取材に対し、複製本を収蔵する同博物館の渡部淳館長は「音次郎個人の業績だけでなく明治から昭和の激動の時代、社会を読み解ける一級の資料。有効に活用したい」と話していた。(芝野祐輔)
写真:佐竹音次郎日誌の複製本を県に寄贈する四万十市民有志(県庁)
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2023.1.10 Tue 高知城歴史博物館に日誌複製版を贈呈
城博応接室で記念撮影。左から、横山副館長、片岡学芸員、渡部館長、小椋、中平、瀬戸。 高知城歴史博物館の外観写真。窓からは高知城が一望できる。
 高知県立・高知城歴史博物館は2017年3月に開館し、1月12日に5年10ヶ月目にして来会者累計50万人に達しました。保育の父・佐竹音次郎に学ぶ会とは城博開館当初に音次郎会が縁者からの史料を提供を受けてから関わりを持って下さっています。これまでに打ち合わせに2回、講演会に1回、史料整理作業に8回、合計11回も足を運んで下さっています。

 今回、高知県知事に贈呈した日誌複製版の3組のうちの1組が城博に収蔵される事は、音次郎会としても最も嬉しく、光栄で、ふさわしい設置場所であると感じております。

 以下に、これまでの城博との歩みを振り返っておきます。

2015.5.10(日) 保育の父・佐竹音次郎に学ぶ会発足
2017.3. 4(土) 高知県立・高知城歴史博物館開館
2018.8.17(金) 縁者から史料が寄付される(本日から3回に分けて)
2019.1.17(木) 県議会議員らが音次郎日誌などを視察に来会
2019.1.21(月) 高知県庁文化振興課と史料の取り扱いについて相談
2019.2.21(木) 城博学芸員、企画員来会
2019.4. 8(月) 城博館長、企画員来会
2019.5.10(金) 城博さんより日誌の存在価値について講演して頂く
      (音次郎生誕155年・音次郎会発足5周年記念講演会)
2020. 2. 8(土) 城博さん協力による史料整理作業がはじまる
2020. 8.24(月) 城博と史料整理②
2020. 9.22(火) 城博と史料整理③
2020. 9.22(火) 城博により日誌の電子化着手
2020.12.18(金) 城博との史料整理作業を計画するがコロナで中止
2021. 3.11(木) 同完成、合計9,355枚の画像データを受け取る
2021. 3.11(木) 城博と史料整理④
2021.10.12(火) 城博と史料整理⑤
2022. 1.11(火) 日誌データ整頓完了、合計8,964枚に集約
2022. 1.13(木) 城博と史料整理⑥
2022. 2.24(木) 城博と史料整理⑦
2022. 3.15(火) 日誌複製着手
2022. 4.19(火) 城博と史料整理⑧、8回で完了する
2022. 6. 3(金) 日誌複製版12組(1組31巻)が完成する
2022. 7.15(金) 城博へ日誌複製版完成報告と協力御礼で訪問
2023. 1.10(火) 城博へ日誌複製版を贈呈

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2023.1.10 Tue オーテピア高知図書館に日誌複製版を贈呈
 高知県立・オーテピア高知図書館(通称:オーテピア)は2018年7月に高知県立図書館と高知市立図書館が合併して中四国最大規模を誇る図書館として開館しました。

 オーテピアでは県下のあらゆる発行図書を収蔵する事も目指しておられ、今回の音次郎日誌複製版についても喜んで受け入れてくださいました。

 また、贈呈に伺った際には既にオーテピアが収蔵している音次郎関連書籍をすべて陳列してくださっており、今後は保育の父・佐竹音次郎に学ぶ会が収蔵する図書の内、部数に余裕のあるものについては更にオーテピアに寄贈するなどして、蔵書の協力も行っていく予定です。

 オーテピアには土佐史談会事務局も存在しており、高知県の歴史研究の中心的拠点であると音次郎会でも捉えています。これからの協力体制に期待します。

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2023.1.1 Sun 音次郎会年賀状
音次郎会 新年の御挨拶を申しあげます。平素は会の運営に御協力くださり有難うございます。今年も共に音次郎の福祉のこころに学んでまいりましょう。写真上:夢の碑/辞世の句碑案内看板が完成しました! 写真下:2022.11.8 Tue 竹島小学校5年生と史跡巡り
今年もよろしくお願い致します。
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2022.11.8 Tue 竹島小総合学習第2部「野外学習」
四万十川を散歩する児童。この自然に音次郎も癒やされた。
 音次郎会が四万十市ふるさと教育に協力する形で実施されている竹島小学校総合学習への訪問ですが、座学1時間に加えて、今年も野外学習2時間を割いて頂き、音次郎の足跡を辿りました。

 横山充男著「万人の父になる-佐竹音次郎物語-」では、病気療養で帰省した音次郎がふるさと竹島で自分の半生を振り返ると共に、この美しい自然環境の中ですっかり心身共に癒やされ、いよいよ保育の父としての歩を力強く踏み出すシーンが感動的に物語られています。

 音次郎がふるさとで何を感じ、そして、残そうとしたのか。共に考える時間を持ちました。

 

 

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2022.11.5 Sat 「夢の碑」案内看板が完成
 旧竹島神社境内に存在する「夢の碑」に案内看板を制作し、設置工事が完了しました。

 音次郎会では、この竹島神社を「旧竹島神社」と表現しております。これは、竹島神社は2001年(平成13年)に廃止され、現在、本殿はないからです。この事は故・西内育二朗元副会長の著書「竹島の偉人」(児童福祉に生涯を捧げた佐竹音次郎「夢」碑の由来)に詳しく書かれています。

 現在は、音次郎会が定期的に例会会場としてお貸し頂いている下田地区・竹島防災コミュニティセンターの階段の上にあります岩越四所神社に合祀されています。

 旧竹島神社の成り立ちについては、メールマガジンの別冊:~読み物シリーズ 6~「竹島神社は天満宮?」に詳しく書かれています。音次郎は青春時代に悩み、ここで丑の刻詣りをしました。

 夢の碑案内看板についても、辞世の句碑案内文書と同様、現地で看板上のQRコードをスキャンすることによってスマートフォンなどで詳しい説明が読むことができるように工夫がされています。このホームページでも【ここ】をクリックすれば、より詳しい夢の碑の説明をご覧頂けます。

 左にある2枚の写真はそれぞれクリックすれば拡大して見えます。石碑の横に立つモデルの身長は約180cmです。






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2022.11.4 Fri 第4回 竹島小学校の総合学習出前授業
竹島元小校長でもあった中平会長が音次郎との出会いを語る/音次郎会からの資料を見る子供たち質問に答える児童/熱心に耳を傾ける子供たち/授業の終わりにお辞儀
 音次郎も通った竹島小学校では2002(H14)年ころから地域の先人・佐竹音次郎についての学習に取り組んでいます。音次郎会が2015(H27)年に発足してからは音次郎会から総合学習に訪問するようになり、今回で4回目です。今年も前年に引き続き、本日1時間を割いて頂き、音次郎の生き様を学びました。

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2022.11.1 Tue 四万十市図書館に日誌複製版が収蔵される
四万十市立図書館の収蔵書籍検索用パソコンの画面の写真。「おとじろう」で検索した結果「日誌」など43件がみつかりました、と表示されている。写真下部には郷土史コーナーに整然と陳列された日誌複製版31冊の映像。
 四万十市に贈呈した音次郎日誌複製版が、四万十市立図書館で館内閲覧ができるようになりました。

 館内の書籍検索用のパソコンで試しに「おとじろう」と入力してみますと、ズラリと館内に収蔵されている音次郎関係の書籍がリストアップされました。

 日誌複製版には次のような序文を添えております。

 ご覧いただくにあたって……
 佐竹音次郎は明治29年に小児保育院の看板を腰越医院に掲げてから昭和15年に亡くなるまでの45年間保育事業にあたりました。その中の明治38年から昭和15年までの日誌31冊が残されています。佐竹音次郎の研究をされる方の用に供する為に本会がその複製版を作成しました。
 技術的に複製不可能な部分がわずかながらありますが、日誌を可能な限り忠実に複製しました。空白のページ、しるし類やメモ的記述及びページ数の不整合等も原本のままです。
 音次郎はこの日誌を書くにあたり、これは業務日誌のようなもので公開される性格にあるとの認識を持ち、登場する人物の人権が損なわれるようなことがないように気を配ったと聞き及んでいます。本会でもこの点を最も気にかけます。この取り組みは、飽くまでも佐竹音次郎の研究が進められる為には必要だとの思いによるものであることを十二分にご理解いただいて、お取扱いくださいますようお願いいたします。

  音次郎生誕158年の日に
     保育の父・佐竹音次郎に学ぶ会

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2022.10.21 Fri 四万十市に日誌複製版を贈呈
日誌複製版を手渡しする中平菊美会長。それを受け取る中平正宏市長。周りでは4人がその様子を撮影している。「四万十市」のバックスクリーンの前に整列する関係者一同の記念写真。1人ずつ日誌複製版を掲げている。音次郎日誌の重要性について熱弁する中平会長。史料を興味深く閲覧する市長、教育長、生涯学習課長。
 音次郎会では日誌複製版を歴史研究家のみなさんに活用して頂き、保育の父に留まらずその時代の研究に役立ってもらいたい願いがあります。

 2022.9.15 Thu 四万十市教育長を訪問し、日誌複製版の完成報告と市に贈呈をしたい意向を伝えました。

 2022.10.21 Fri これを受けて、この日、四万十市役所3階、市長応接室において音次郎日誌複製版の贈呈式が執り行われました。

 翌日、贈呈式の様子は高知新聞に掲載されました。記事はクリックすれば別画面で拡大してみることができます。記事の引用については高知新聞社 アーカイブ企画部に許諾済みです。
◆佐竹音次郎の日誌複製本を寄贈
 「保育の父・佐竹音次郎に学ぶ会」(中平菊美会長)は21日、四万十市竹島出身で5千人以上の子を育てたとされる保育事業家、佐竹音次郎(1864~1940年)が記した日誌の複製本を市に寄贈した=写真。
 明治後期から昭和初期に記した日誌をデータ化し、31冊の複製本として整理。中平正宏市長は「大変意義ある資料」として市立図書館で展示、公開すると述べた。 (幡多)
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2022.9.23 Fri 夢の碑案内看板、整備中(高知新聞に掲載される)

2022.9.23 地空「夢の碑」高知新聞社幡多支社・芝野祐輔
 どれほど優れた業績を残しても人はいつか朽ち果てる。だから人々は、残したい言葉を朽ちることのない石に刻んできた。記念碑、歌碑、句碑―。種類はさまざまあるが、四万十市竹島の竹島神社にある石碑はどう解釈すればいいのだろう。
 「夢」。石碑に刻まれているのはたった1字。いつ、誰が、なぜ建立したかもない。正体を調べると、地元に「佐竹音次郎の碑」と伝わっていた。
 音次郎(1864~1940年)は竹島出身。神奈川で医院を開き、身寄りのない子どもたちを世話する小児保育院を併設した。後に医者はやめて保育事業に専念。海外にも拠点をつくり、76歳で病没するまでに5千人以上を育てたとされる。
 音次郎は10代のころ、行く末を悩んで竹島神社へ参詣を重ねた。そしてある晩、神の鎮座する場所の扉を開くと何もなかった―という不思議な夢を見た。彼は〈これは神様のお告げ〉〈本当に助けを頼むのは神様ではない。自分の力を養うべきだ〉と決意したという。
 子どもたちに生涯をささげて「保育の父」とも呼ばれた音次郎。夢の碑は、その途上にあった30代のころ、兄の資金援助で建立した。彼は「夢」にどんな思いを込めたのか。
 「夢の解釈は見る人それぞれで違っていい。私の夢は…と考えるきっかけにもなりますよ」と、音次郎を顕彰する市民団体のメンバー。今は石碑を訪れる人も少ないが、案内板を設置する計画を進めている。
 建立から約120年。物言わぬ石碑の前でたたずんで「夢」の字を見る。自分も40代半ば。本当にやりたいことは何だったか、来し方と行く末を思った。
 高知新聞の記者コラム「時空」に「夢の碑」の探訪記が掲載されました。

 (クリックすれば別窓で大きく読めます)


 (記事の引用について、
  高知新聞社 アーカイブ企画部に許諾済み)

 夢の碑は故・西内育二朗元副会長の著書「竹島の偉人」(児童福祉に生涯を捧げた佐竹音次郎「夢」碑の由来)の制作する動機となった謎めいた石碑です。

2022.8.12 Thu 8月定例会にて案内看板の文面が検討されて、三役にて内容が熟考されました。

2022.9.30 Fri 音次郎会、看板施工業者、竹島地区長さんの立ち会いの下、設置予定場所を確認。

 これと平行して竹島地区役員会にて設置についての承認をして頂く予定で、整備が進められております。

旧竹島神社境内に設置されている「夢」とだけ刻まれた石碑と、その左側に看板の設置予定場所が赤線で示されている図。
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2022.8.28 Sun 竹島の偉人・佐竹音次郎の顕彰が高知新聞に掲載される

 高知新聞の連載コラム「ちいきのおと」の85回目「四万十市・竹島」に音次郎会の取り組みが掲載されました。
   (クリックすれば別窓で大きく読めます)
【見出し】
郷土が生んだ福祉の先駆者
保育の父・佐竹音次郎の業績を後世に
授業・案内板・資料収集…有志ら顕彰続ける
【写真】
佐竹音次郎日誌の複製本。右側は音次郎と妻の写真(四万十市下田の若草園)
辞世の句碑と観光案内板(四万十市竹島)
佐竹音次郎の業績について話し合う「学ぶ会」メンバーら(四万十市竹島の下田地区竹島防災コミュニティセンター)

                    (記事の引用について、高知新聞社 アーカイブ企画部に許諾済み)


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2022.8.11 Thu 8月定例会を開催する
竹島防災センターの敷地から見下ろした四万十川と竹島と八束に懸かる四万十大橋。大きな塊の雲がいくつか浮かんでいる。  8月15日の保育の父・佐竹音次郎82回目の命日に因んで本日、例会を実施しました。内容は次の4点です。

1 成田・城博訪問の報告 
 2022.7.13 Wed 宗吾霊堂へ漢詩『松籟』調査で訪問する(下に詳しい報告あり)と、日誌複製でお世話になった高知県立・高知城歴史博物館を表敬訪問し東次長と会談し複製版贈呈方法など打ち合わせた報告。

2 史料の現況報告と保存方法の検討
 聖音会から提案のあった耐火金庫設置について見本を購入し検討した。実際に燃焼試験も行ってみることになった。

3 夢の碑に対する看板設置の検討
 昨年からの継続事業で、竹島周辺の音次郎史跡に案内板の設置について、今までに提出された文面案により検討し、以後、会長と事務局で最終調整することになった。

 4 音次郎命日と平和を願って黙祷
~ロシアとウクライナの戦争が早く終わりますように~
~被爆者を含む戦争被害者が救われますように~
~保育の父・佐竹音次郎の心をもった社会事業家が増えますように~

 例会の様子は上記、四万十川の写真をクリックすればスライドショーを見ることができます。

 9名参加
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2022.8.2 Tue 諸書類の電子化完了

A3ブックスキャナの写真。開いて大きな本をスキャンしている様子。エッジ2mm、分厚い書籍対応、600dpiと書かれてあるカタログ写真。その下には分解して清掃をしようとしている写真がある  音次郎会の活動目的には参考文献の整備も掲げております。音次郎縁者から提供された史料のうち中心的な日誌(原本)については高知県立・高知城歴史博物館さんのご協力により電子化が完了し、複製版も完成しました。その後、残る諸書類についても一気に電子化に取り組むことにしました。

 2018年、8月に縁者から史料が到着した時に、9月に緊急募金をしましたところすぐに購入額が満たされ、10月に購入しました。それ以来、その大型スキャナは今まであらゆる場面で運用してきました。

 導入から4年経って内面のガラスが曇ってきたことから、今回作業をはじめるに先立ち分解清掃をしました。

 そして、日誌複製版のボランティアさん達に再びお願いをして、手元の史料についてすべてをスキャンしました。今後は見やすいように画像処理をして、順次、研究に用いていきたいと考えています。

 のべ5日、のべ12名参加
作業開始前@音次郎会資料室
 若草園児童住居棟西1階の空き部屋に間借りしている保育の父・佐竹音次郎に学ぶ会資料室で作業は始まりました。この部屋は常時空調で史料保存に適切な環境に維持されています。


スキャンされた史料
 会議用テーブルに並べられている包みは薄葉に覆われた史料です。8回にわたる城博さんとの作業によって1回ずつ完了の都度、包まれた物です。スキャン作業を数日に分割して実施するために、いくつかずつに分配してから作業を開始しました。スキャンされた史料類は中性紙の保存用段ボールに入れて保管されました。  

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2022.7.27 Wed 若草園に日誌複製版を贈呈 写真上:贈呈に先立って中平会長から説明を受ける理事長と施設長、写真下:複製版の一部を受け取る平岡理事長とその横にいる福留施設長

 2022年7月27日若草園にて、児童養護施設若草園を運営する社会福祉法人栄光会 理事長 平岡和好へ音次郎日誌複製版(31冊1組)を中平菊美会長から贈呈しました。

 これは平素の音次郎会への運営協力とご支援に感謝を込めて寄贈したものです。

 音次郎会では、保育の父に学ぼうとする方の助力となるように用いられるようにと、願いを込めて贈呈しました。

 遡ること12年前。2010年の夏、故西内育二朗氏は帰郷してふるさと研究を始めた時、旧竹島神社で夢の碑と出会い、関係資料を求めて若草園にやって来られました。それが育二朗さんとの出会いでした。これから若草園での継続的研修事業として音次郎顕彰がはじまり、育二朗さんは「保育の父・佐竹音次郎に学ぶ会準備会」の副会長として音次郎研究に協力して下さることになりました。

 音次郎生誕151年に「保育の父・佐竹音次郎に学ぶ会」(通称:音次郎会)が発足しました。この時、育二朗さんは副会長に就任して下さいました。

 このように、文献が関連機関を訪れた時に役立つことに期待しています。今後も日誌複製版の設置場所を拡大したいと計画しています。






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2022.7.13 Wed 宗吾霊堂へ漢詩「松籟」調査で訪問する 雅号「松籟」恭賦尊 義人宗吾300年祭「一死何辞為義捐」7文字16行の漢詩が額縁に入っている (特別な許可を得て撮影しました) 宗吾霊堂の境内。左手に社務所、奥には本堂が見える

 音次郎通信vol.16(2021.6.4 Fri 発行)別冊:~読み物シリーズ 2~「藤ノ川の石碑が佐倉宗吾と佐竹音次郎をつなぐ!」で紹介した義民・佐倉宗吾を奉る鳴鐘山東勝寺「宗吾霊堂」(成田市)を訪問しました。目的は宗吾霊宝殿に奉献されてある漢詩の雅号が音次郎と同一であるため、音次郎が詠んだものではないか調査をするため。

 訪問に先立ち、社務所に調査訪問の依頼をしたところ快く受け入れてくださり、当日も当院住職でもある寺務長さまから懇切丁寧なご案内を頂きました。

 対象物を検証した結果、1952(昭和27)宗吾霊300年祭記念前後に制作された物で、音次郎没後12年も経っており、雅号「松籟」は何人かの著名人も愛用している人気の称号であることも分かり、漢詩自体は音次郎とは直接関係がないであろうと推測されました。

 音次郎は多くの「夢」を見ました。今回の直接的な目的は外れたかのように見えますが、その夢を追いかけて出かけて行き、義民・佐倉宗吾が描いた地域農民安寧の夢とその実現を学ぶことができ、有意義な交流をすることができました。

 2名参加

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2022.6.3 Fri 音次郎日誌の複製版が完成する
おもだったボランティア参加者との完成記念写真。男女3人ずつが整然と並べられた複製版31冊の後ろに並んでいる。  音次郎会の事業目的の1つには「音次郎に関する資料整備」があります。発足時、音次郎を研究するための文献が非常に少なかったからです。設立から3年目に音次郎縁者から音次郎に関する歴史的資料を譲り受け、高知県立・高知城歴史博物館さんのご協力の下、目録作りと整理に取り組んできました。4月に城博さんとの最終作業は終了しましたが、史料の中心に位置づけられる毛筆日誌の複製版製作にも水面下で取り組んできていました。

 どうしても多くの人手が必要となる製本作業について、作業奉仕者を募りました。4月27日、製本方法の検討からはじまって取組日数15日、延べ60人役で完成する事ができました。

 この作業には音次郎会3役の他に会員外を含む作業奉仕者8人が関わってくださり、ある方は都合のつく時間帯で部分的に、またある方はほぼ皆勤で、作業に従事してくださいました。

 今回は手元にある日誌31巻・全巻を12組複製しました。このうち2組を音次郎会で閲覧に供するため資料室に設置しました。

 製本作業の様子は、上の写真をクリックするとみることができます。


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2022.5.9 Mon 2022年度定期総会を開催 11人が会議室に集まっている。向こうにある黒板には「定期総会」というポスターが貼られている。
 5月9日(月曜日)10時から、音次郎の158回目の誕生日の前日に総会を開催しました。誕生日当日は会場が予約でいっぱいだったからです。

 今年も鎌倉の音次郎縁者から参加者へ鳩サブレーの差し入れが届きました。

 総会の詳しい内容は事業活動計画をご覧下さい。

 会場:アピアさつき 2階事務室横会議室

 11名参加

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2022.4.27 Wed 日誌複製版の製作作業が始まる
 縁者から寄贈された貴重な史料の内、基本的な資料として最重要である音次郎の毛筆日誌の複製版製作作業が具体的に進んでいます。

 それに先だって、事務局では城博さんが電子化して下さった見開きの写真データを加工し、余白と明暗の調整を行い、A3サイズ横置きで日誌の見開き2ページがうまく収まるように編集を完了させていました。

 印刷・製本方法はどのようにするのか、印刷業者の見積も取り、三役で検討した結果、内製することになりました。外注すると非常に単価が高くなるためです。

 3月15日~4月15日にコピー機のカウント料金を特別価格にしていただき、本文の印刷を107,556枚を完了しました(写真・上)。

 本日は実際にそれらの本文をどのような装丁に仕上げるのか、作業のボランティアを担って下さる方を含めて打ち合わせを行いました。

 表紙のデザイン、背表紙のデザインと材質や作成方法など、実際に見本を何種類か作り、もっとも音次郎日誌に相応しく、かつ、作業効率が良い方法を検討しました。

 また、打ち合わせの流れの中で難しい本文だけではあまりにも専門的学術的すぎる冊子になるので、と、表裏の内表紙に写真ページも追加する事になりました。良い複製版が完成しそうです。

(写真・下)



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2022.4.19 Tue 第8回【最終】城博さんとの史料整理作業
座ったり立ったりしている人々8人が机の周りに居る。史料を1つ1つ見つめながら調査カードを書く者、相談する者の写真

 音次郎会では高知県立高知城歴史博物館(通称:城博)の全面協力によりまして、貴重な音次郎の関する歴史的資料の整理を7回にわたって取り組んできました。遂に本日、最後の作業を実施しました。

 2018年8月17日に縁者から史料が到着して1,341日目(3年8ヶ月)になります。個人的には「長かった」と感じましたが、城博の企画員さんは「思ったより早かった」とおっしゃいました。プロの目から見ても歴史的資料の整理には相当な時間が必要だったと言うことでしょう。これまでの作業に従事した延べ参加人数は75人です。
 特に、城博さんのご尽力には感謝します。

 12名参加
記念品贈呈
 高知県立・高知城歴史博物館は開館5周年。今までの作業の御礼とお祝いを兼ねて鎌倉名物「鳩サブレー」を贈呈しました。



謝辞
 中平会長が最後の作業をした全員に史料整理作業の意義と、これからの展望を述べました。これによって音次郎研究が更に加速するので、これからも音次郎の心に学ぶ活動に参与し続けて欲しいことを願いました。

 

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2022.4.11 Mon 辞世の句碑の案内看板が設置される

竹島集会所の川沿いフェンス前、左に栴檀の木、背後に笹林、右には丸太風ベンチ。緑字に説明文と鎌倉の歌碑の写真が入った案内板。  保育の父・佐竹音次郎に学ぶ会では音次郎生誕地に存在する史跡を、誰でも判りやすく学べるように整備する目標があります。そのモデル事業として、今回、辞世の句碑の案内板が完成しました。

 今回の案内板には、経年劣化により文字が判読しづらくなってしまっている歌の内容が記され、この石碑が建立された経緯が手短に説明されています。また、来訪者がさらに詳しく学べるように音次郎会ホームページへのアクセス用QRコードも印刷されています。

◆辞世の句碑の説明ページ






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2022.4.5 Tue 辞世の句碑を移設する

 音次郎が愛した老松に、音次郎は辞世の句碑を設置したのは音次郎の亡くなる前年のことでした。音次郎の愛した松はまさに音次郎と運命共同体であったことを証明するように、松が消失した翌日、音次郎も天国へと旅立ちました。

 辞世の句には、音次郎が生まれたこの大地に、何らかの形で恩返しをしたいとの願いが込められています。

 この日、案内板設置の為に、辞世の句碑は集会所の中央から川沿いの場所へと移設されました。
<< 工程1 >>
 石碑の基礎部をバールでこじ上げて地面の様子を確認する作業員。

 石碑が地面と接している部分に何らかの加工が施されていないか、そっと基礎部にバールとショーレンを差し込み確認します。石碑の基礎部分となっている台座の石がそのまま地面に設置しているだけであることが分かりました。

 また、句碑の丸石と台座の丸石が単純にモルタルで接着されているだけならば、移動の衝撃で剥がれる怖れがあります。一度剥がれると、元の形に修復することが困難になる場合があるので、句碑と台座が分離しないように注意しました。

<< 工程2 >>
 移動の方法を考えました。危惧するように句碑が分離すると良くないので、もっとも衝撃が少なくなる方法を選ぶようにしました。

 その結果、石碑の基礎部にナイロンスリングベルトをかけて、ゆっくり、ゆっくり、重機で引っ張る方法を選びました。別の台座に乗せ替えて移動させる方法など検討しましたが、つり上げる際、傾いて石碑が分離する危険性があるので、なるべく石碑の水平を保った状態で移動させるように考慮しました。

 幸い、集会所の庭は砂地でしたので台座の滑りも良く、重機で慎重に引っ張ると地面に大きな傷を付けることもなく移動できました。
<< 工程3 >>
 移転先で石碑の向きを微調整します。今まで辞世の句碑の文字は東向きでしたが、今回の場所では西向きになります。川と平行になるように設置位置を微調整します。また、立木とベンチの中間地点になるように左右の位置も微調整します。さらに、台座の丸石は天然石で、地面と接する部分は丸みを帯びていましたので、文字面が垂直になるように地面を掘りながら傾きも微調整します。
<< 完成写真 >>
  集会所入り口の木陰に辞世の句碑は移設完了しました。集会所中央の場所から真東に15mほど移動しました。石碑の移動した足跡は竹ぼうきで慣らすとすぐに元の砂地になりました。



移転が完了した辞世の句碑。作業に立ち会った事務局瀬戸雅弘と並んで大きさの比較をする。石碑は腰の高さほど。モデルの身長は約180cm << 大きさ比較 >>

 移転が完了した辞世の句碑。作業に立ち会った事務局瀬戸雅弘と並んで大きさの比較をする。石碑は腰の高さほど。モデルの身長は約180cmです。この後ろに、辞世の句の内容を説明する看板が設置される予定です。









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2022.3.24 Thu 近隣4小学校に新伝記を贈呈

下田小学校で卒業生にお話しをする中平菊美会長。  昨年に引き続き、今年も音次郎生誕地近隣の4小学校に、音次郎の新しい伝記「万人の父になる-佐竹音次郎物語-」を贈呈しました。

 四万十市ではふるさと教育に力を入れており、竹島で生まれ、中村で学び、上京し、アジア各国で活躍した音次郎の生き様を学ぶことは大変有意義だと信じています。

 今回は宮村家の4男として生を受けた音次郎が「佐竹」を名乗るきっかけとなった、音次郎の母校とも言える中村小学校にも拡大して実施しました。中村小学校の卒業式は3月20日でしたが、この頃は市内での感染者も多く、卒業式は閉鎖的に実施されましたので、贈呈は間接的に実施しました。

八束小学校で卒業生に新伝記を贈呈する事務局瀬戸雅弘。 ◆今回の卒業生
竹島小学校  9名(宮村和輝副会長が担当)
下田小学校  7名(中平菊美会長が担当)
八束小学校  7名(事務局瀬戸雅弘が担当)
中村小学校 31名(コロナに配慮して不参加)






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2022.2.24 Thu 第7回城博との史料整理作業

数名が史料を見ながら調査カードへ記入している様子。中央ではちょうど城博さんに渥美委員が完成した調査カードを手渡している。  高知県立・高知城歴史博物館さんのご協力により7回目の保育の父・佐竹音次郎に関する歴史的資料の目録作りを行いました。

 冒頭の時間、2021年中に電子化が完了した日誌について、紙媒体に複製して多くの人の閲覧に供するために、どの様な方法が良いかを話し合いました。

 今回は鎌倉保育園100周年記念で製作された写真パネルなど大物を取り扱う回だったので、作業をしていても何となく達成感があり、楽しい整理作業となりました。

◆今回完成した調査カード
図  書  10冊
パ ネ ル  21枚
その他  多数(50程度か?)


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2022.1.13 Thu 第6回城博との史料整理作業

史料を見ながら調査カードへ記入している様子。中平会長が隣席の婦人たちの作業の様子を見守っている。奥では城博さん2人と渥美委員が熱心に記入している。  高知県立・高知城歴史博物館さんのご協力により6回目の保育の父・佐竹音次郎に関する歴史的資料の目録作りを行いました。

 2018年に音次郎会に到着した史料はその後、目録作りのために整理作業を進めていますがようやく全数調査を完了できる目処が立ちました。

 今回の作業では今までに完成した調査カード進捗状況を一覧にして目録作りの基礎データとしてまとめました。現時点での史料数についても明確になりました。

日  誌  31冊
奉 加 帳  2冊
手  紙  94枚
木箱書類 358枚
その他  多数(100程度か?)

 手書きの調査カードを電子化する作業では四万十市シニアネットワーク・川山代表のご尽力によりまして順次、データ化されています。「その他」の部分は次回と最終回にて完了できる見込みです。

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2022.1.4 Tue ホームページアドレスの微修正

 ホームページのアドレスが変更されてます。SSL暗号化に対応するためで、より安全に音次郎会情報をご覧頂けます。ブックマークを登録されている方は冒頭の「http://」を「https://」に変更ください。古いアドレスはしばらくすると使えなくなります。ご注意ください。
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2021.12.21 Tue 竹島小学校5年生と史跡巡り


 竹島小学校総合学習の延長で、竹島に存在する佐竹音次郎史跡巡りを3-4時間目を使って実施しました。下の画像をクリックすればスライドショーを見る事ができます。


5年生児童11人と引率4人で竹島小学校玄関から出発!!
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2021.12.9 Thu 第3回 竹島小学校総合学習 出前授業

写真上は教壇前で担任の先生と事務局瀬戸が会話している。写真下は事務局瀬戸が音次郎かるたの作品発表で「か」の文字札を持っている。 写真左は担任の先生から授業開始のお話し。写真右は中平会長のあいさつ。  保育の父・佐竹音次郎のふるさと竹島にある竹島小学校。音次郎も養子に行った中村紺屋町の家庭が崩壊して竹島に戻って通った小学校です。この音次郎ゆかりの学校では伝統的に音次郎学習をしています。

 音次郎会が発足してから総合学習にお伺いするようになりましたがこの日3回目の出前授業を行いました。

 今回、元竹島小学校長である中平会長と共に訪問したのは5年生の教室で、事前に担任教師の指導により音次郎50音カルタが作成されていました。また質問も届けられていたのでそれを中心に話を広げました。

 授業の一コマを文字起ししてみました。

瀬戸 「か行!」
児童 「ジャジャン!」
瀬戸 「家族はね 七人家族の 大家族」
瀬戸 「これはねぇ……、みんなプレバト見た事ある? あれは俳句の勉強にすごくなるよねぇ。みんなカルタを5・7・5の俳句形式で17音に仕上げてくれているけど、夏井いつき先生がいつも『短い言葉で表現するには同じ意味の言葉は使わない』って何回も言って、ゲストが作った俳句にデッカいバツとかやってるよねぇ。このカルタは『家族、家族、家族』って3回も同じ言葉を言っているよねぇ。たぶん夏井先生だったらバツ、バツ、バツって怒りのマークが出るねぇ。でもねぇ……音次郎会的にはこれ、okよ! この『家族』って言葉は音次郎さんが大事にした言葉なんだ。音次郎さんは困っている子供を預かって育てたでしょ? みんな若草園が作った音次郎のパンフレットも、『万人の父になる』の本も読んでくれたから、よく知っているよねぇ。音次郎さんは自分のつくった施設に孤児院という名前をつけるのを嫌ったんだよね。

 そして日本で初めて保育園って名付けたから保育の父と呼ばれているんだよね。音次郎さんの保育の特徴はねぇ、預かっている子供も、自分の実の子供も、同じように大切にしたんだよ。自分の子供だから大事。預かっている子供はちょっとだけ……って言うんじゃなくって、自分の子供も預かっている子供も差別をしなかった。おんなじ家族として扱ったんだよ。みんなの中でお家でペット飼っている人、居る?」

児童 「犬、飼いよる……」
瀬戸 「ウチも猫飼っているけどねぇ、ペットも家族って言うじゃない? 人間と同じように大切にするからペットも家族って言うでしょ? 音次郎さんにとってはお家にいる人はみんな同じように大切にしたの。それが音次郎の言う家族なんだ。だから、音次郎さんが大切にした家族を、このカルタは3回も家族、家族って言ってくれていて、音次郎会的にはこのカルタは花丸ですよ! この家族主義は音次郎さんのやった児童福祉の特徴なんだよ。
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2021.12.8 Wed 石井十次に学ぶ会(岡山)へ視察
 「石井十次に学ぶ会」は2018(H30)年7月14日から活動を始めています。岡山市東区大宮地区(旧西大寺市)の少子高齢化対策として、教育や福祉を中心に地域作りのため発足したようです。大宮地区に存在する地域福祉施設を行政と連携して活用しながら活動をされていました。

 東区宿毛(しゅくも)にある福祉交流プラザ山南(さんなん)には石井十次に関する資料が常設展示されています。東区下阿知にある岡山市大宮コミュニティハウスは十次に学ぶ会による研修会場となっており、十次御膳という特別メニューがあって希望により注文することができます。東区上阿知には石井十次がはじめて孤児を保護した大師堂と医院跡地が隣接して残っています。県道沿いに大きな案内看板と無料駐車場が準備されていて、史跡への道案内も表示されていました。史跡には美麗な看板、丁寧に用意された説明看板、展示資料も充実しています。

 今回の訪問視察は音次郎会会員でもある高知大学地域協働学部の玉里教授の提案によるもので、中平会長、小椋副会長、事務局瀬戸の4名で実施しました。石井十次に学ぶ会からは東森会長夫妻、馬場夫妻(監査役、事務局編集部長)が同席してくださり、今後の歴史人物顕彰する会の主宰者同士として大いに刺激しあう良い機会となりました。

 十次の会について詳しくは、石井十次を学ぶ会ホームページがあります。こちら(ここをクリック)を御覧下さい。音次郎会が訪問した記事もさっそく掲載してくださっています。

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2021.10.12 Tue 第5回 城博との史料整理作業 会議用テーブルの周りに数名が座って鉛筆をもって熱心に書いている。顔にはマスク。机の上には音次郎の歴史的資料が並んでいて順番に調べている様子。換気のためにドアが開いていて向こうからは日の光が射し込んでいる。チラシの下の文字。高知城歴史博物館との史料整理作業ごあんない。城博さんの御協力により第5回目の音次郎史料整理作業を行います。2021年10月12日(火) 11:00-16:00   (部分参加ok) 場所 下田の若草園 西棟1階 お問い合わせ 音次郎事務局(若草園)0880-33-0247

 夏には感染症第5波で変異種が全国的に蔓延しました。ようやく感染者が減少したことから、史料整理作業を手分けして実施しました。

 今回も高知県立 高知城歴史博物館の協力を得られ、専門的な見地からご指導をいただきました。

 作業も終盤にさしかかりました。今は音次郎の死後、鎌倉保育園で葬儀を行った関連資料を中心に作業を進めています。音次郎は松を愛しましたが、植木屋から松の領収書がある事を見つけました。記念植樹をしたのでしょうか? 盆栽にして弔問者のどなたかに差し上げたのでしょうか? 整理をしながら様々な推測をして進めるのがとても意味深いと感じています。

 作業は今後も引き続き実施します。人手が必要な作業ですので、みなさまの御参加をお待ちしております。

 9名参加



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2021.8.25 Wed 辞世の句碑移設の検討 石碑の場所を示す地図。竹島集会所付近の地図と、石碑の全体像写真。 石碑の位置を示す写真。集会所中央にある杉の木の根元に別の石碑と並んである辞世の句碑 石碑の移動距離。杉の木の根元から赤い矢印が伸びていて東側の川沿いのフェンスを差している。 石碑の移動先。中央に石製のベンチが3つ並んでおり、その左側に矢印がある。後ろには薄緑のフェンスがあり川の向こうには竹島小学校の校庭が見える。


 音次郎の生誕地である竹島には音次郎に関する石碑がいくつか存在します。その中で最も劣化が激しく、判読できなくなっているものが「辞世の句碑」です。

 今年度は史跡への案内板設置を具体化させるように鋭意取り組んでおりますが、辞世の句碑への案内板設置をモデル事業として取り組んでいます。

 その時、考えなければならないことは、辞世の句碑は竹島集会所の中央に安置されていて、この付近に案内板を設置することは竹島地区の諸行事で集会所の広場を活用する時に支障となる怖れがあるという事です。

 その事について音次郎会では今のところ次のように判断しています。

① 辞世の句碑はもともと現在の場所に建立されたものではない。
② 辞世の句に詠われている松の木は消失してしまっている。
③ 案内板は辞世の句碑の文字を説明する内容も含めるので大きめになる。
④ 案内板は辞世の句碑のすぐ近くに設置したい。

 以上のような理由から合理的に考えて辞世の句碑は集会所の差し障りのない場所へ移動した上で、案内板を設置した方が好ましいと考えました。竹島地区には句碑の移設について打診をしており、概ね了承を得ています。詳細案ができれば区長さんと打ち合わせることになっています。

 また、移設作業については工事業者に見積を取っているところで、次回の例会において看板の内容と共に検討することになっています。


【音次郎辞世の句】

 己れ死なば死骸は
松の根にうめよ
 我がたましひの
松のこやしに
       撫松

 「撫松」は音次郎の雅号。音次郎が幼少期から老松をいつくしんでいた松への思いを詠っていて、句の制作にあたっては鎌倉の歌人・太田水穂に師事して学んだ。
 この松と音次郎は運命共同体のようで、老松は1940年(昭和15)8月15日、失火によって焼失してしまいました。くしくも翌日の8月16日、音次郎は天国に旅立っていきました。









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2021.8.16 Mon 音次郎没後81年記念会(8月定例会)を開催 竹島防災センターの室内に会議用テーブルをロの字に並べて中平会長の話に聞き入る人たち。写真の後ろの窓は明るいが大雨が降っている。 音次郎竹島墓地の墓石の写真。雨に濡れている。榊と野の百合が生けられている。

 鎌倉保育園を設立した佐竹音次郎は1940年(昭和15)園内の自室で静かに息を引き取りました。日誌(新版)には音次郎最期の様子が克明に記されており、投薬内容、呼吸、脈拍なども記録されています。

 今年の記念会は墓前祭を実施せず、小講演と史跡への案内板設置の内容検討をおこないました。

 講演は「音次郎と竹島神社」として保育の父・佐竹音次郎に学ぶ会の中平菊美会長が竹島神社の由来について研究発表しました。

 竹島神社は現在、廃殿になっており西隣の岩越四所神社に合祀されています。それ故、今回は岩越四所神社についても西南四国歴史文化研究会 中村支部が2015(H27)に発行した「敷地物語」からその成り立ちを学びました。

 今年の8月は夏の長雨となり、雨天が続く事が多かったのですが当日もあいにくの大雨でした。前後して日本各地では線状降水帯が発生して大雨被害がもたらされました。週末には中村でも大雨となり、金曜日の早朝にはここ竹島防災センターが避難所として開所されました。

 毎年、音次郎命日の例会は非常に暑いか、大雨かのどちらかになる傾向があります。今年は熱中症予防の観点から、日中に墓地まで行くことを避けて早朝、有志によって墓掃除を実施しました。

 音次郎の墓地は竹島墓地の尾根沿いに一番奥側に位置しますので、暑い日中に歩いて行くことは危険です。今年は大雨だったのですが幸い墓掃除をする30分ほどの時間は奇跡的に雨がやんでくれて、難なく作業をすることができました。

 9名参加
朝日に輝く「夢」の碑の写真が上半分にある。2020.8.16 6:20撮影。黙祷。音次郎没後81年記念会のごあんない。保育の父81回目の命日に、音次郎の足跡を振り返るちいさな講演会を企画しました。場所は音次郎の墓地近く竹島防災センターです。その後、地元の史跡整備について6月定例会で話し合った内容をより深めるワークショップも行います。引き続き企画立案などで多くの方のお知恵とアイディアを必要としています。よろしく御参加くださるようお願いいたします。2021年8月16日(月) 9:00-11:00場所:竹島防災センター(高知県四万十市竹島409)お問い合わせ 音次郎事務局(若草園)0880-33-0247









 ← 当日のチラシ(クリックすると拡大して読むことができます)














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2021.6.19 Sat 6月定例会(年度計画具体案づくり作戦会議)を開催 若草園の玄関先に保育の父・佐竹音次郎に学ぶ会定例会の看板が設置されている写真
 今年度の重点目標と継続的目標について、現状について全体的に報告をした後に、個別に課題を討議し、役割分担するところまで取り組みました。

 特に、音次郎遺跡へ観光案内板を設置する課題については最重点目標として取り組み始めました。年度内に設置できるように取り組んでいます。

 8名参加
諮る(はかる)「新年度の活動「具体案づくり」作戦会議へのごあんない」音次郎会では新年度を「巣ごもり活動の好機」と捉え、寄付された貴重な資料の解読などの研究活動を中心にする一年の目標に定めました。同時に、維新博が終わってから手つかずになっている史跡への案内看板設置や、視聴覚教材の製作、「まちの偉人伝」での展示に向けた企画立案など、多くの方のお知恵とアイディアを必要としています。そこで、最近の言葉で表現すればワークショップを行います。よろしく御参加くださるようお願いいたします。当日、会場にも衛生用品は揃えております。感染予防対策を充分に講じた上で実施したいと思います。2021年6月19日(土)10:00-12:00 お問い合わせ 音次郎事務局(若草園)0880-33-0247















  当日のチラシ(クリックすると拡大して読むことができます)⇒
















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2021.5.10 Mon 四万十市図書館での新伝記陳列 図書館の入口に陳列されている音次郎新伝記。児童ペン大賞受賞のメモが貼り付けられている。また右には著者・横山充男氏のサインも並べて置かれている。

 四万十市立図書館(市役所2階)の入口には、現在、音次郎の新伝記『万人の父になる-佐竹音次郎物語-』が陳列されています。


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2021.5.10 Mon 2021年度定期総会と小講演会を開催 10人程度が会議室に集まっている。向こうにある黒板には「定期総会」というポスターが貼られている。
 5月10日(月曜日)10時から、音次郎の157回目の誕生日の日に総会を開催しました。コロナ禍で今年も諸行事が開催できませんので、昨年の研究成果を発表する小さな講演もしました。

 総会の詳しい内容は事業活動計画をご覧下さい。

 11名参加
発見!音次郎 Discovery of Otojiro 定時総会2021 2021年5月10日。音次郎生誕157年の誕生日に『2020年度の研究成果 新発見!』 として1年間の成果発表を行います。これまでに取り組んできて見えてきたこと、それを踏まえて今後の課題について取り扱いたいと思います。最新の音次郎研究成果を披露いたしますので、ご興味のある方はご参加ください。日時:2021(R3)年5月10日(月)10:00-12:00 場所:アピアさつき 2F事務所会議室(〒787-0012四万十市右山五月町8-13℡0880-34-7100)お問い合わせ 音次郎事務局(若草園)0880-33-0247















  当日のチラシ(クリックすると拡大して読むことができます)⇒
















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2021.4.23 Fri 西土佐地区にて三役会を開催 組み合わせ写真。西土佐ふれあいホールの外観。2段目は会議室入り口。保育の父・佐竹音次郎に学ぶ会の場所を示す案内ポスターが貼られている。3段目は会議室の中で3人の役員が座って話し合っている様子。

 中村と西土佐は2005年に合併して四万十市になりました。音次郎の生家も、生まれた時は竹島村でしたが下田村と合併し、その後、下田も中村と合併し、やがて中村市になりました。音次郎の郷里も時代と共に広がっています。

 今回、総会に向けた打ち合わせのため、三役会を西土佐地区にて開催しました。ここには西土佐村の時代から存在していた四万十市立西土佐ふれあいホールがあり、その会議室をお借りしました。

 ここは音次郎が愛した四万十川の中流域で、自然が豊かな地区です。しかし中村と西土佐を結ぶ道路はまだ狭いままなので、いまだに行き来するには困難があります。

四万十川。岩間地区にかかる沈下橋。
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2021.3.24 Wed 音次郎ふるさと3小学校卒業生へ新伝記を贈呈

 2020年度は新型コロナウィルスの影響により、地域に対して保育の父を伝える働きも減退しました。音次郎会では郷土の先人を伝える働きもありますので、粘り強く取り組みたいと思います。

 そこで今年度は地元小学校の卒業式で音次郎の新伝記『万人の父になる -佐竹音次郎物語-』を卒業記念品として卒業生に贈呈する活動をはじめました。初年度は音次郎の生家がある竹島小学校と、下田小学校、八束小学校の3校です。四万十市教育委員会、生涯学習課、各学校長とPTAの方々の協力により実現できました。ありがとうございます。

 竹島小学校は音次郎が通った小学校で、教師の助手をはじめた学校です。下田小学校は後の時代には鍋島小学校と合併されますが、音次郎が初めて正教員の資格を取得して勤務した学校です。八束小学校は教員となった音次郎に縁談が持ち上がり、1年だけ婿養子となって住んだ土地にある学校です。

 なるべくこの活動を継続して、なおかつ、贈呈する小学校も拡大できたらと願っております。また、この活動に必要な資金活動も新年度には取り組みたいと思います。みなさまのご協力でふるさと教育を盛り上げていきたいと考えます。よろしくお願いいたします。


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2021.3.21 Sun 史料ネット公開が高知新聞に掲載される

 3月11日の「第4回 城博との史料整理作業」で、史料ネット公開の発表をしたところ、これが高知新聞に掲載されました。

 これをはずみに、情報提供や、研究者同士の連係につながればと願っています。

高知新聞の切り抜き。「保育の父」佐竹音次郎史料をネット公開 四万十市の学ぶ会「情報集めたい」
四万十市出身で、身寄りのない子らを預かる小児保育院を運営した佐竹音次郎(1864~1940年)を顕彰する市民有志が、関係史料をインターネットで公開している。音次郎が資金集めの際に作成した芳名帳で、有志らは「多くの人に見てもらい、情報を集め研究を深めたい」と話している。
 今回公開したのは、1905年と1909年の芳名帳2冊、計145ページ分。音次郎に直筆書画の提供を要望された著名人らが名を記したものとみられ、計646人の中には松方正義や渋沢栄一、板垣退助、横山大観、東郷平八郎、犬養毅らも。ただ読み取れるのは3分の1程度という。同会事務局の瀬戸雅弘さんは「(著名人らの署名は)個性的で読めない字も多く、書に明るい方の力をお借りしたい」と呼び掛けている。また同会の研究で、宿毛市出身の出版経営者、坂本嘉治馬の書簡から音次郎との交流が判明した例もあり、「音次郎以外の人物を研究している人と、情報を提供し合えたら」と話していた。日誌も公開予定。(今川彩香)写真:史料公開前に協議する「保育の父・佐竹音次郎に学ぶ会」メンバーら(四万十市下田)

                    (記事の引用について、高知新聞社 アーカイブ企画部に許諾済み)


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2021.3.15 Mon 書画寄贈者芳名簿の公開

 音次郎会では、2年前に縁者から寄贈された音次郎に関する歴史的資料の整理作業に取り組んできました。今も高知県立・高知城歴史博物館さんの協力も得ながら少しずつ進んでおります。それに先立ち、特に、音次郎の当時の人物関係を知る上でも大きな手がかりとなる「書画寄贈者 芳名簿」を先行して公開します。

N,E,W 英語でニュー。更新された目印が点滅して知らせています。
音次郎が鎌倉保育園に書画寄贈者を募った芳名簿。右には著名人の直筆の署名が並んでいる。拙書200枚 犬養毅、書画 跡見花蹊、拙書200枚 元田肇、拙書100枚 長谷場純孝、拙書100枚 高島北海

 歴史研究では特定の人物だけを取り組むにも、その人物に関する文献が必ずしも必要十分に整わない場合があります。同時代に関係を築きながら活躍した人物の資料から、その人物の横顔が見えてくる事があります。

 音次郎会では、入手した史料を最大限に音次郎研究に活用すると共に、音次郎と同時代を生きた関連人物の研究や、その時代世相、歴史文化の研究にも役立てば、との願いがあります。また、音次郎会では解明できない音次郎の横顔や、関わりがよく分からない人物についても研究が進めば、と期待しています。

 今回、公開する芳名簿は、音次郎会で調査したところ3分の1程度の人名しか把握できておりません。今後は資料内容の研究にも取り組んでまいります。芳名簿を御覧になってその人物を御存知の方がいらっしゃいましたら、ぜひとも音次郎会にお知らせ下さい。

「書画寄贈者芳名簿」は「研究材料」のページから閲覧できます。ここをクリックして下さい。


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2021.3.11 Thu 第4回 城博との史料整理作業

 12月には感染症蔓延の第3波が高知県にも及んだ為、予定していた作業は中止になりました。ようやく感染者が減少したことから、史料整理作業を実施しました。

 冒頭では、着々と電子化の作業を進めて下さった高知県立高知城歴史博物館(通称:じょうはく)さんから、電子化されたデータの紹介や、作業中のこぼれ話、電子化する意義について説明がありました。

 また、高知新聞と読売新聞の記者さんも同席下さり、今後、音次郎の史料整理作業を広く、世に協力を呼びかけるための記事を書くように取材して下さいました。

 午後からは史料の目録作りを手分けして行いました。

 読めない文字があります。「もっと勉強していたらよかった」と思うこともあります。また、達筆すぎて読めない文字もあります。1つ1つの資料を丹念に読み解く中で、驚きの発見もあります。歴史的資料の整理整頓という作業ではしばしの時間、タイムスリップをするかのように100年前へとワープします。ひたすら読み解く、ひたぶる時間が心に新鮮です。

 作業は今後も引き続き実施しますので、みなさまの御参加をお待ちしております。

何かの表彰状を右に置いて鉛筆を握り調査票に書き込んでいる左右の手の写真。史料整理作業の1コマ 城博職員の説明に耳をかたむける参加者

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2021.2.17 Wed 幡多信用金庫下田支店から御寄付

 保育の父・佐竹音次郎に学ぶ会の資金管理では御世話になっており、唯一のオフィシャル・スポンサーである幡多信用金庫下田支店から、今年度も活動支援の為、活動資金を御寄付くださいました。

 ありがとうございます。

応接室で金一封を手渡す下田支店長と受け取る中平副会長

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2021.2.3 Wed 臨時3役会

 年度総括と新年度計画の素案作りのため臨時3役会を開催しました。コロナ対策のため定例会を休止しておりますので、必要最小限の討議を行いました。

 資料室として間借りしている若草園の西住居棟1階では城博さんとの史料整理作業も実施しています。この場所には会議テーブルがないので作業前後には若草園の職員にお願いして運び込んでいます。先般、若草園でもこの場所を行事に使う為、会議テーブルを運搬する必要が出ました。そこで、音次郎会でも若草園でも、この場所を利用する時の便宜を図り、設備として会議テーブルを購入して設置することにしました。

 音次郎会では若草園を間借りしており、音次郎会で必要な道具は会が準備していく事が道理ですので、作業に使う4台は音次郎会で負担することになりました。(約4万円)

 保育の父・佐竹音次郎に学ぶ会は現在、発足して浅い為、若草園とその法人から活動助成を受けています。やがて音次郎会も、音次郎のように、施設を支援するように成長できればと願っています。

音次郎会資料室のある若草園西住居棟1階に設置された会議テーブル。白木調の木目テーブルの両側を白のテーブルがはさんでいる。

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2020.11.26 Thu 第3回 dōTERRA ボランティア作業

 第1~2回目と同じく、盛りだくさんの内容で実施しました。参加者は53名(内スタッフ6人、音次郎会2人)でした。

 実施日付近では新型コロナウィルス蔓延の第3波ともいえる国内感染者の急増がありましたが、県外から来る参加者全員にPCR検査を実施し、移動する度に体温測定と手指の消毒も行うなど、dōTERRAさんが万全の態勢をとってくださいました。

佐竹音次郎のイントロダクション(導入説明)をする中平菊美副会長。マイクを握って画面右手に立っている。背面にはプロジェクターで投影された名前や、ドテラのスクリーン(幟のようなもの)が左右に2つ並んでいる。

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2020.11.10 Tue 第2回 dōTERRA ボランティア作業

 第1回目と同じく盛りだくさんの内容で実施しました。参加者は第1回目が48名(内スタッフ6人、音次郎会3人)、第2回目が63名(内スタッフ7人、アシスタント3人、音次郎会2人)でした。

 参加者は2~3人1組となって知恵を出し合いながら古文書を解読して、調査カードを作成します。

古文書整理作業の手順を説明する事務局の瀬戸

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2020.11.7 Sat 児童ペン大賞・受賞が読売新聞にも掲載される

 昨年、刊行された待望の音次郎新伝記「万人の父になる-佐竹音次郎物語-」(横山充男 著)が第6回児童ペン大賞を受賞したので、音次郎会として高知新聞と読売新聞から取材を受けました。これが読売新聞にも掲載されました。
高知新聞の切り抜き。「保育の父」伝記が大賞 児童ペン賞 四万十市出身佐竹音次郎 四万十市出身の福祉事業家で「保育の父」とも称される佐竹音次郎(1864~1940年)の伝記「万人の父になる 佐竹音次郎物語」(A5判、176ページ)が、今年度の児童ペン賞(日本児童ペンクラブ)で大賞に選ばれた。市出身の児童文学者横山充男さん(67)(大津市在住)が、子ども向けに執筆した。

                 (記事の引用について、読売新聞社東京本社(知的財産担当) に許諾済み)


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2020.11.5 Thu dōTERRAによる史料整理作業 組み合わせ写真。1段目は四万十の宿の建物写真が2枚。2段目はアシスタント3人と事務局の瀬戸、佐竹音次郎の説明をする中平副会長。3段目は会場の作業開始前で椅子が整然と並んでいる。若草園子供達へのプレゼントを受け取る福留施設長。4段目は参加者全体の写真と、史料を手に取っている参加者のアップ写真。

 若草園近所の四万十いやしの里を会場に外資系会社のボランティアにより、史料調査カード製作作業が進められています。

 ドテラ(dōTERRA JAPAN)はエッセンシャルオイルの会社です。原材料と産地にこだわった純粋で天然のエッセンシャルオイルの商品が特徴です。この会社は原料を「地球からの贈り物」として大切にして、生産地に対して福祉活動を展開しています。同社は保育の父・佐竹音次郎の出身地一円からも、原料を調達されており、dōTERRA cō・impact SOUCING という活動により、地元の偉人・佐竹音次郎の顕彰を推進している音次郎会に対して支援をしてくださることになりました。

 現在、音次郎会では高知県立高知城歴史博物館さんの御協力の下、史料整理作業を継続して取り組んでおります。毎回、この作業に取り組んでいただける参加者を募集しておりますが、今までに報告したとおり、毎回、加わって下さる方は僅かで、非常にゆっくりとした進み具合です。

 ドテラさんに社会貢献活動としてこの作業を担って頂けるようになり、1回あたり数十人規模のボランティアが導入され、作業ははかどっております。この日、私たち音次郎会にとって記念すべき第1回目の作業が実施されました。

 当日のプログラムは大変充実しており、
① 児童養護施設の現状と若草園の紹介
   (若草園 福留久美施設長)
② dōTERRA 社長から若草園の子供達へプレゼント
③ 保育の父・佐竹音次郎の紹介
   (音次郎会 中平菊美副会長)
④ 郷土の偉人・佐竹音次郎物語の朗読
   (高知県教育委員会製作 高知の道徳より)
⑤ 音次郎史料整理作業の手順説明(音次郎会 事務局 瀬戸雅弘)
⑥ 参加者全員による史料整理作業

 今回、朗読に用いた「高知の道徳」はこのホームページの「音次郎の紹介」にも掲載しております。また、史料整理作業については「メールマガジン」vol.12に掲載しております。

 音次郎会では定期的に史料整理作業を実施しております。次回は12月18日(金)に実施予定です。興味のある方の御参加をお待ちしております。

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2020.9.27 Sun 児童ペン大賞・受賞が高知新聞に掲載される

 昨年、刊行された待望の音次郎新伝記「万人の父になる-佐竹音次郎物語-」(横山充男 著)が第6回児童ペン大賞を受賞したので、音次郎会として高知新聞と読売新聞から取材を受けました。これが高知新聞に掲載されました。
高知新聞の切り抜き。第6回児童ペン賞。佐竹音次郎伝記が大賞。四万十市出身、保育に力注いだ生涯。【幡多】四万十市出身で保育事業に力を注いだ佐竹音次郎(1864~1940年)の伝記「万人の父になる 佐竹音次郎物語」(学研プラス)がこのほど、日本児童ペンクラブ(鈴木茂夫会長)が選ぶ「第6回児童ペン賞」の大賞に輝いた。同市出身の児童文学作家、横山充男さん(67)=滋賀県=の作品。音次郎を顕彰する地元関係者も「子どもの推薦図書などに選ばれたらうれしい」と喜んでいる。(平野愛弓)

                    (記事の引用について、高知新聞社 アーカイブ企画部に許諾済み)


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2020.9.22 Tue 鳩サブレーの差し入れ

 史料整理作業への応援として、音次郎縁戚者であり史料提供者から鎌倉名物「鳩サブレー」の差し入れがあり、よいお土産にしました。史料整理作業環境での飲食は厳禁なので、ありがたく持ち帰りました。
作業に参加した7人が書類を置いたテーブルの後ろに並んで記念撮影。みんなが手には鳩サブレーを持って笑っている。写真の右半分は鎌倉豊島屋の鳩サブレーの黄色い大きな缶が移っている。赤い文字で鳩サブレーと描かれてあって、その下には白い鳩サブレーの形をした鳩が静かに座っているトレードマークが大きく描かれている。



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2020.9.22 Tue 第3回 城博との史料整理作業

写真・上:注意深く目録に史料の情報を書き込む参加者。写真・中:同じく、城博の企画員。写真・下:史料目録製作作業にはげむ参加者たち  第3回目の史料整理作業を実施しました。今回も高知県立高知城歴史博物館(通称:じょうはく)から副館長と企画員さんが来て下さいました。

 今回も木箱に収められている各種書類整理の続きです。今回は58枚の調査カードが完成しました。

 史料の中には、やはり、表彰状などが多いのですが、今回、古い漢字の読み方と意味が作業中に話題となり、調べてみました。

■尽瘁(じんすい)
 用例:右の者、児童福祉に尽瘁に就き、表彰する。
 意味:尽くすこと、瘁れる(つかれる)こと。つまり、ヘトヘトになるまで頑張った。

■淬励(さいれい)
 用例:福祉事業に淬励したので記念品を贈る。
 意味:気を引き締めて励むこと。刀の仕上げに水に入れて鍛える言葉が淬ぐ(にらぐ)。

 歴史の勉強をするだけではなく、総合学習として国語の勉強にもなりました。また、今回、出席者には年配者の方が多く、整理している史料の時代背景についても様々な思い出話を聞く事ができました。


 なお、木箱の中身についてはある程度、過去の定例会においてお伝えしております。詳しくは2018年の12月定例会の記事(ここをクリック)を御覧下さい。


 次回は10月下旬(日にちは未定)に実施します。興味のある方、史料の現物を直接手に取れるまたとない機会ですので、どうぞ御参加下さい。参加希望者は事務局へご連絡ください。日にちが定まり次第、御連絡します。

日時 2020.9.24 Tue 10:00-15:30
場所 若草園 西児童住居棟 1F 音次郎資料室
来賓 城博 副館長 横山様
      企画員 筒井様

(7名参加)



写真・上:注意深く史料の情報を書き込む参加者
写真・中:同、城博の企画員
写真・下:史料目録製作に淬励する参加者たち

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2020.9.6 Sun 「万人の父になる-佐竹音次郎物語-」が第6回児童ペン賞・大賞受賞

 昨年、刊行された待望の音次郎新伝記「万人の父になる-佐竹音次郎物語-」(横山充男 著)が、歴史ある児童文学団体「児童ペンクラブ」が主催する第6回児童ペン賞の大賞に輝きました。

 詳しくは、出版元の学研プラスさんが記事を書いてくださっておりますので、こちら(ここをクリック)を御覧下さい。

新刊・保育の父・佐竹音次郎伝記『万人の父になる』-佐竹音次郎物語-(横山充男著)の表紙。四万十川沿いの松の木の上にたくさんの子供たち。それを微笑んで見上げている音次郎

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2020.8.27 Thu 城博との史料整理作業が高知新聞に掲載される

 音次郎会の活動が高知新聞に掲載されました。
高知新聞の切り抜き。「佐竹音次郎資料 目録に。保育事業で功績。研究加速へ。四万十市。写真:目録を作成する「保育の父・佐竹音次郎に学ぶ会」のメンバーら。四万十市出身で保育事業に力を注いだ佐竹音次郎(1864~1940年)を顕彰する市民有志が、音次郎の日誌や手紙など資料の目録作りを進めている。メンバーは「資料を整理して研究の弾みにしたい」と話している。

                    (記事の引用について、高知新聞社 アーカイブ企画部に許諾済み)


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2020.8.24 Mon 第2回 城博との史料整理作業

写真・上:作業開始前に城博職員の説明を受ける参加者。写真・中:今回、整理する事になった木箱。写真・下:ハケ、メジャー、筆記用具など調査に使用する道具が机上に並んでいる  高知県立高知城歴史博物館(通称:じょうはく)から副館長と企画員さんが来て下さり、専門的な見地からご助力頂き、第2回目の史料整理作業を実施しました。

 今回は木箱に収められている各種書類を整理することにしました。箱の中には200点以上の書類があり、まずは連続の番号をつけ、調査カードに項目毎に内容を記載する作業を行いました。全体の4分の1程にあたる78枚の調査カードが完成しました。

 木箱の中には、写真に木箱の文字が「御下賜金(宮内省)表彰状入」と写っているとおり、音次郎の保育事業が認められて天皇から資金提供を受けた関係書類が中心です。その一方で、借用証書など、経営苦難だった現実を感じさせる書類もあります。

 1枚1枚の史料と、1束で複数の史料に及ぶ物などがあり、整理の仕方については城博さんから懇切丁寧に手ほどきを受けつつ、取り組みました。

 なお、資料が到着した時点で、ある程度の中身については定例会においてお伝えしておりました。
 詳しくは2018年の12月定例会の記事(ここをクリック)を御覧下さい。


 次回は9月22日に実施します。興味のある方、史料の現物を直接手に取れるまたとない機会ですので、どうぞ御参加下さい。

日時 2020.8.24 Mon 10:00-15:30
場所 若草園 西児童住居棟 1F 音次郎資料室
来賓 城博 副館長 横山様
      企画員 筒井様

(7名参加)



写真・上:作業開始前の城博職員の説明
写真・中:今回、整理する木箱
写真・下:調査に使用する道具類

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2020.8.16 Sun 保育の父・佐竹音次郎没80年 記念会

写真が上下2分割されており、上は窓越しに熱そうな日差しが差し込む中、机の周りに座っている参列者。下は今回のチャプレンである牧田牧師の背後から、明るい日差しに包まれる参列者たち  音次郎は今から80年前の1940.8.16 Thu 19:35 鎌倉保育園にて天の父なる神の御許へと召されました。76歳3ヶ月でした。

 COVID-19の中、今回も積極的な参加は呼びかけはおこないませんでした。また、四万十市中村ではこの前日まで3日間連続で日本一の暑さを観測しました。

 2020.8.13 Thu 37.9℃(全国一)
 2020.8.14 Fri 39.8 ℃(全国一)
 2020.8.15 Sat 39.7 ℃(全国一)
 2020.8.16 Sun 39.0 ℃

 前日までに、この暑さの為に参加を見送った方や、遠方からはコロナ蔓延防止の観点から参加を見合わせるとの連絡が多くありました。

 この為、参列者の健康にも考慮して、今回は竹島墓地の尾根道を1kmほど歩く音次郎納骨堂への墓参は危険と判断し、祭事と学習会のすべての時間を屋内で実施しました。

式辞 「むだ骨に終わらない労苦」牧田吉和牧師
      (日本キリスト改革派 宿毛教会)
聖書 コリントの信徒への手紙(一)15章58節
 「わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならない事を、あなたがたは知っているはずです」

日時 2020.8.16 Sun 14:00-16:15
会場 下田地区竹島防災コミュニティセンター

(7名参加)
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2020.7.29 Wed 2020年度 定期総会

中央公民館となりにあるアピアさつき屋上駐車場。四万十市の施設を建て替え工事中はアピア会議室を代替施設として使用中。
 2020年度 定期総会を仕切り直して小規模で開催しました。事前に詳しい議案書を会員全員に送付して、コロナウィルスの蔓延予防の観点から積極的な参加は控えていただくようにしました。

 概ね、原案通りに2020年度も活動を継続しますが、一部、コロナ災禍によって内容を変更することになりました。

 この時期ですので、対外的な活動は控えて、内務的な活動を主体にします。すなわち、縁者から寄贈された史料整備が進んでおりませんでしたので、年度内の定例会はすべて、史料整理に傾注することになりました。

 高知県立高知城歴史博物館さんの支援も頂きつつ、取り組んで行きたいと思います。現在、以下の予定が決定しております。興味のある方は各自、感染予防対策をした上で、御参加下さい。

■日時:2020年 8月24日(月曜日)10時~
■場所:若草園内 音次郎資料室
■講師:高知県立高知城歴史博物館 学芸員
■内容:音次郎関係歴史的資料の整理

 なお、総会議案書の詳しい内容はメールマガジン vol.13に詳しく記載されています。

(4名参加)
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2020.5.10 Sun 音次郎生誕156年

はるや書店四万十川店の外観映像に、書棚の「四万十市ゆかりの作家」コーナーと、その下に平積みされている音次郎の新伝記
 保育の父・佐竹音次郎 生誕156年の記念講演会を音次郎の誕生日である本日、開催する予定にしておりましたが、新型コロナウィルス蔓延予防の観点から中止いたしました。

 昨年は保育の父の新しい伝記が出版されて、音次郎さんには良い誕生日プレゼントになりました。

 地元、明屋書店四万十川店には、「四万十市ゆかりの作家」コーナーがあり、その棚の下には横山充男著『万人の父になる-佐竹音次郎物語-』が平積みされていました。

 コロナ禍が終息するまで、生誕講演会は順延です。








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2020.4.11 Sat 中止になった2020年度 定期総会

竹島付近の四万十川。満潮で川の水位が上がっている。鋼色に暗くなってきた空に、西に向かって飛んでいく飛行機が軌跡を描いている
 2020年度 定期総会は開催する予定でしたが、お隣の宿毛市内で新型コロナウィルスの集団感染が発生したことから、急きょ中止いたしました。
 役員さん達や常連の方々には電話で連絡をしましたが、急な事で案内が行き渡りませんでしたので、事務局の瀬戸が会場となる下田地区竹島防災コミュニティーセンターにて留守番を致しました。
 会場の鍵を開けて下さる竹島地区長さんと、他に2名の方がいらっしゃり、簡単に昨年度の総括と、新年度の取り組みについて、議案書に沿って説明しました。

 8月の音次郎没後80年記念墓前祭まで、人が集まる行事は延期します。

(4名参加)
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2020.2.8 Sat 2月定例会「城博学芸員と史料整理」 2020年2月8日 土曜日14時から16時まで、高知城歴史博物館学芸員が若草園にある音次郎資料室に来園し、音次郎史料調査の実演をしてくださる
 音次郎会では2018年、遺族から貴重な音次郎の毛筆手描き日誌など、歴史的資料を受けとりました。2019年音次郎生誕155年記念講演会にて、高知城歴史博物館 渡部館長に講演いただいた事をきっかけに、音次郎会の歴史的資料の整理を、高知城博の全面協力の下に、実施して頂ける運びとなりました。城博からの提案もあり、その作業を、歴史に興味のある方と一緒に行いました。古文書の専門家、学芸員さんと共に、音次郎史料をひもときました。
 この日の作業の詳しい内容はメールマガジン vol.12に詳しく記載されています。

(13名参加)
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2019.12.14 Sat 12月定例会「新伝記『万人の父になる』読書感想と意見質問を語る会」

 11月に出版祝賀会も開催致しましたので、新しく出版された佐竹音次郎物語の感想などを持ち寄るサロンを中央公民館にて開催しました。
 ところが、出席者が少なく、役員会のようになりました。今後の興味深い会の運営について、検討材料が増えました。


(6名参加)
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2019.11.3 Sun 横山充男氏新刊「万人の父になる」出版祝賀会

会場となった新ロイヤル四万十ホテル2階の四万十の間。後方から前方の舞台を眺める。舞台後ろには金屏風。その上には出版祝賀会を知らせる看板が吊り下げられている。壇上には四万十市長が
 横山充男先生「万人の父になる-佐竹音次郎物語-」出版祝賀会が保育の父・佐竹音次郎に学ぶ会の主催で開催されました。

▼日程 2019(R1).11.3 Sun 18:00-20:00
▼会場 新ロイヤルホテル四万十 2階

◆プログラム

  開会の辞    司会者(野地ちえみ[音次郎会会員])
1 祝   辞   四万十市長 中平正宏様
2 乾杯の音頭   社会福祉法人聖音会 常務理事 佐竹敬様
3 歓談飲食
4 来賓の祝辞   高知県知事 尾﨑正直様(代読:地域福祉部長 福留様)
          高知県議会議員 石井孝様
             〃    土森正一様
          立教大名誉教授 浅井春夫様(本書解説者、司会代読)
5 音楽の時間   シンガーソングライター 農夢民(のむど/谷崎順一様)
6 あいさつ    著者 横山充男先生
          出版社 ㈱学研プラス 幼児・児童事業部 児童読み物チーム 松山明代様
7 図書贈呈    幡多信用金庫様から幡多地域小中学校全校へ
8 フリーお祝いメッセージ(各テーブルから)
9 作品の朗読
10 お礼の言葉   音次郎会 会長 浦田一雄
11 連絡事項    音次郎会 事務局 瀬戸雅弘
  閉会の辞    司会者


 この件に関してはメールマガジン11号に詳しく掲載しております。

(74名参加)
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2019.10.31 Thu 高知新聞に伝記出版記事が掲載される

高知新聞
2019年(令和元年)10月31日(木曜日)地域2(22ページ)
「保育の父」の奮闘紹介
佐竹音次郎の伝記出版
【幡多】四万十市竹島出身で「保育の父と呼ぱれる佐竹音次郎(1864~1940年)の伝記「万人の父になる 佐竹音次郎物語」が大手の学研プラス(東京都)から出版された。同市出身の児童文学作家、横山充男さん(66)=滋賀県在住=が書き下ろしたもので、地元の関係者は「全国の人に音次郎の名を知ってもらうきっかけになる」と喜んでいる。 (西村大典)
四万十市出身の作家
医師だった音次郎は1896年に、神奈川県鎌倉市に身寄りのない子どもを預かる「小児保育院」を開設。児童施設に初めて「保育」の名称を使った。私財をなげろち、5千人以上の子どもを育てたとされる。
 自費出版以外に音次郎に関する書籍がなかったことから、四万十市の「保育の父・佐竹音次郎 に学ぶ会」の浦田一雄会長(67)が2017年夏、中村小中学校で同級生だった横山さんに執筆を依頼。横山さんも音次郎の生き方に共感し、快諾してくれたという。
 横山さんは同会が保管する音次郎の日誌などを読み込み、生い立ちから晩年まで、音次郎の生き生きとした姿を描いた。苦しい保育院運営の中でも中国旅順に支部をつくろうと奮闘する姿などを通じ、迷いながらも、こうと決めたらやり通す音次郎の生きざまを浮かび上がらせている。
 横山さんが大手出版社と交渉し、学研プラスが 手を挙げてくれたという。
 本は小学高学年向けだけに、浦田会長は「とても読みやすい。大人も楽しめる1冊になっている」とPRしている。A5判176ページで1500円 (税抜き)。購入の問い合わせなどは同会(0880・33・0247)へ。
来月3日記念会
 本の出版記念会が11月3日、同市中村小姓町の新ロイヤルホテル四万十で開かれる。当日は横山さんも登壇。裏郎への思いを語るほか、サイン会も開く。午後6時から。会費(本と飲食費) は5800円、男女ペアは9千円(本1冊と飲食費2人分)。申し込み、問い合わせは同会へ。
学研プラスから出版された「万人の父になる 佐竹音次郎物語」

 音次郎新伝記出版と出版祝賀会の紹介記事が高知新聞に掲載されました。
 (記事の引用について、高知新聞社 デジタル事業部に申請済み)
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2019.10.15 Tue 四万十ライオンズクラブ例会にてPR

ホテルの会議室で音次郎の話をする浦田会長と事務局の瀬戸。新しい伝記を掲げている。ロの字型に会議用テーブルが並び、それを取り囲んで12人のライオンズメンバーが話を聞いている。
 四万十ライオンズクラブの例会に出席させていただき、中村の社会事業家・保育の父・佐竹音次郎をアピールしました。

 配布した資料は、
1『知っていますか?佐竹音次郎を』~四万十市竹島出身・郷土の偉人 佐竹音次郎ものがたり~(社会福祉法人栄光会が若草園創立55年記念事業で作成した佐竹音次郎紹介のリーフレット)
2『<新版>竹島の偉人』(西内育二朗元副会長著のリーフレットを高知新聞厚生文化事業団の助成により再版した物)
3 出版祝賀会案内チラシ
4 音次郎伝記予約販売チラシ
 です。

(浦田会長、事務局瀬戸参加)

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2019.10.12 Sat 10月定例会を竹島防災センターで開催

竹島防災センターから見下ろす四万十川。登り口には軽トラックが停車していて、その荷台には開催を告げる看板がくくり付けられている
 2019年10月定例会は「あらためて史跡巡り~乾綾雄氏の手紙から見えてきたもの~」として開催しました。
 昨年、縁者より貴重な音次郎史料が音次郎会に寄進されました。その延長上で故・乾綾雄氏(元小学校教諭、鎌倉保育園職員、音次郎の甥、音次郎の伝記を2冊自主出版されている)と縁者との間に交わされた私信を閲覧させて頂きました。
 四万十市に残る音次郎の史跡として3つ存在しますが、その経緯についてよく分からないものがあります。1つは「夢」の碑で、建立経緯や時期については謎に包まれたままです。故・西内育二朗副会長が「竹島の偉人」でもその謎解きに挑戦されています。音次郎歴史ミステリーの1つです。
 乾綾雄氏の書簡の中で、竹島神社が廃殿される時に音次郎本宅の故・宮村吉一さんが区長であり、夢の碑の移転について相談をする話や、当初の建立時期について言及されている部分がありました。
 ところが、高知県人誌に書かれた記述とそれらの建立時期は違っていました。また、故・西内副会長が調べられた故・谷岡ミツエさん経由の情報とも食い違っておりました。結論的にははっきりとしませんでした。
 「夢」の碑の歴史物語なので、真相は文字通り夢の中に包まれているようです。

 なお、会場となった下田地区 竹島防災コミュニティーセンターは四万十市内に数件設置されている避難所です。
 昨年の開催時にも台風が接近しましたが、今年も台風19号が接近し、静岡県に上陸しました。幸い今年は、竹島防災センターは避難所として開設される事はなく、定例会は無事に開催できました。音次郎会が竹島防災センターで定例会を開催する時には必ずと言ってよいほど台風が接近します。音次郎が「嵐を呼ぶ男」なのかもしれません。
 いずれにしましても、地元の偉人・保育の父・佐竹音次郎に学ぶ会を運営するために、四万十市地震防災課と関係各課の配慮によって、定例会の会場としてこの場所を無料で貸し出しして下さっています。行政からの支援に感謝します。

(8名参加)
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2019.10.10 Thu 幡多信用金庫によって新伝記が旧幡多郡全小中学校に寄贈される

左、幡多信用金庫の贈呈印が捺された新伝記の内表紙。中、はたしん90周年のデザインロゴマーク。左、地元とともに、とキャッチフレーズが書かれた幡多信の通常のロゴマーク 上、起立して「万人の父になる」を竹島小学校今津校長に手渡している松田理事長。中、同じく下田小学校柴田校長に。下、ソファーに座って贈呈の言葉を述べる松田理事長と、本を開きながら聞く下田中学校山崎校長。
 現在、音次郎会唯一のオフィシャル・スポンサーである幡多信用金庫は今年創業90周年となりました。音次郎が養子に迎えられた紺屋町佐竹家は幡多信の創業者である貞広家とも親戚関係になります。そんな繋がりもあって、新しい伝記を旧幡多郡の全ての小中学校に贈呈して下さる事になりました。
 贈呈された学校は、四万十市、宿毛市、土佐清水市、黒潮町、四万十町、大月町、三原村の小中学校です。大規模学校には2冊ずつ、合計100冊です。
 10月に入って事務局から各市町村の教育委員会を通じてそれぞれの学校へは届けられましたが、音次郎にゆかりがある竹島小学校・下田小学校・下田中学校には、幡多信用金庫の松田理事長と総務課長、音次郎会の浦田会長と事務局が直接訪問して、贈呈の時を持ちました。この3校にも2冊ずつ贈呈されました。

写真上:竹島小学校
写真中:下田小学校
写真下:下田中学校
























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2019.10.9 Wed 今年も竹島小学校6年生の総合学習で出前授業する

上の写真は教室の前で話をする事務局の瀬戸。その隣には中平副会長。さらに右隣に浦田会長。下の写真は授業の終わりにクラスを代表する児童が起立してお礼を述べている。同じく起立して謝辞を聞く事務局瀬戸と浦田会長。
 保育の父・佐竹音次郎の郷里・竹島小学校へ5-6時間目の総合学習に訪問しました。水曜日は短縮授業の日で、2時間といっても休み時間が5分、授業時間は45分なので正味90分です。
 写真の下側ではこの授業で唯一の板書が見えます。
 音次郎は預かった子供全員を「家族」として受け入れました。「だから孤児院とは呼ばなかった」という説明の時に書いたものです。音次郎は「私が父になるのだから、もうその子供は孤児ではない。保んじて育てる保育院だ」と施設の名称を変えました。これが音次郎の「聖愛主義」です。そのことを近年の社会問題となっている「孤独死」とも絡めて話しました。

 学級担任教諭との事前の打ち合わせでは、児童たちは音次郎の家族について知りたいとの事でした。その為、下の写真を資料の中に掲載して、次のような説明をしました。

 ~~音次郎さんは自分の血のつながりの家族も大切にしたし、自分が預かった困っている人たちも家族と同じように大切にしたんだよ。それは音次郎さんが「家族写真」って呼んでいる写真を見たらよく分かるよ。
 この写真の中で、どの女の子が音次郎さんの娘か、判るかい? わからないよね。
 じゃあ、みんなはシンデレラを知っているかい? 私がもし、シンデレラの家族写真を見たら、私はどれがシンデレラか当てる自信があるよ。どうしてだと思う? シンデレラは一番ボロい服を着ていたからね。でも、ネズミが馬になって、カボチャが馬車になって、シンデレラはあとでキレイになるよね。
 音次郎さんはどの子供も大切にしたんだ。だから、自分の娘が花柄の服を着たら、預かったよその子だった子供にも、同じ服を着せてあげたんだよ。それが公平って言う事だよね。当たり前の話だよね。でも、大人になったら当たり前に思っていた事が、当たり前に出来なくなるって事がたくさんあるんだよ。でも、当たり前の事を、当たり前にできることは偉い事なんだよ。
 音次郎さんは自分が子供の頃、ずっと悩んでいたから、それが出来たんだと思うよ。自分が辛かった意味が、この為だったのかと、大人になって判ったからだと思うよ。~~

「最初期の家族写真の一枚、明治29年頃」と写真下の余白に書かれてある。腰越医院の中庭に作られた小児保育院の横で、和服を着た大人や子供が30人ほど写っている集合写真



























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2019.8.30 Fri 音次郎の新伝記「万人の父になる―佐竹音次郎物語―」が発売される

新刊・保育の父・佐竹音次郎伝記『万人の父になる』-佐竹音次郎物語-(横山充男著)の予約販売お知らせチラシ お問い合わせ⇒音次郎事務局(0880-33-0247若草園) 新刊・音次郎伝記『万人の父になる』-佐竹音次郎物語-(横山充男著)の出版祝賀会お知らせチラシ 開催日2019年11月3日(月)18時 新四万十ロイヤルホテル お問い合わせ⇒音次郎事務局(0880-33-0247若草園)

 新刊・音次郎伝記が㈱学研プラスから出版されました。音次郎会が待望の新しい文献となります。著者は中村出身の児童文学作家 横山充男氏です。全国書店で購入する事ができます。音次郎会では地域おこしや地元貢献も目的がありますので、購入には地元の販売店をご利用下さい。
 また、有名通販サイトにてネット購入することも可能です。

 音次郎会では特価1,450円(送料&税込み)で頒布します。メールにてお問い合わせください。
 1冊だけの場合は振込手数料が152~202円かかりますので、お近くの書店で購入される場合が安くなる場合もございます。
 事務局所在地においでくださる場合は、手渡し特価1,350円で頒布しております。
 (上記チラシは閲覧環境によっては一旦ダウンロードした上で保存して見なければ、うまく見えない場合がございます)


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2019.8.16 Fri 音次郎 没後79年 墓前祭を執り行う

牧師の司式によりキリスト教式で墓前祭が執り行われる 音次郎 墓前祭 2019
8月16日 金曜日あさ9時~11時 竹島防災コミュニティーセンター集合(高知県四万十市竹島409) お問い合わせ⇒音次郎事務局(0880-33-0247若草園)
佐竹音次郎は四万十市竹島出身の社会事業家です。今の児童養護施設や乳幼児保育所に相当する施設に初めて「保育園」という名称を使ったので「保育の父」と呼ばれています。音次郎の墓は事業を展開した鎌倉市にありますが、本人の遺志により郷土の竹島墓地にも昭和41年に分骨されました。音次郎はどのような思いだったのでしょうか。墓前祭の後には、小さな学習会を防災センターで行います。みなさまのご参加をお待ちしております。  昨年は台風接近による荒天の中での墓前祭となりました。今年も台風10号が前日の午前中に豊後水道を北上し、午後、広島県に上陸しましたが、当日は台風一過の蒸し暑い晴天となりました。
 集合場所の竹島防災コミュニティーセンターは避難場所にもなっており、昨年も今年も、墓前祭の前日は避難所として開設されました。四万十市地震防災課の許諾によりこの会場を使用させて頂いておりますが、実際の管理は竹島地区に移管されております。地区長さんには毎年、連日にわたり防災センターを開放してくださっているご苦労に、感謝申し上げます。

 今年は、竹島墓地まで徒歩で移動して、分骨された墓石の前で記念式を執り行うことができました。

司式者:日本キリスト教団 高知中村教会
             内藤達也牧師

 また、墓前礼拝後は防災センターに戻り、新刊音次郎伝記の予約販売と祝賀会チラシの発送作業を行いました。音次郎会のメンバーや著者横山充男氏の関係者、そして全国児童養護施設協議会に加盟している児童養護施設602箇所の合計950通の封筒詰め作業をみんなで行いました。
 (のべ13人参加
   =墓前祭11人+発送作業10人)








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2019.6.14 Tue 講演会のもようが高知新聞に掲載される

高知新聞
2019年(令和元年)5月14日(火曜日)地域2(20ページ)
佐竹音次郎日誌で知る
保育の父 四万十市で勉強会
【幡多】四万十市出身で保育事業に力を注いだ佐竹音次郎(1864~1940年)の日誌をひもとき、人柄を知ろうと、このほど、四万十市右山五月町の中央公民館で勉強会が開かれた=写真。
 音次郎は同市竹島生まれ。神奈川県鎌倉市に医院を開き、身寄りのない子どもを預かる「小児保育院」を1896年に併設。その後 は医業を親族に譲り、保育事業に専念した。
 勉強会は10日、音次郎の155度目の誕生日に合わせて、有志の「保育の父・佐竹音次郎に学ぶ会」が開いた。
 日誌は昨年、同会が縁者から寄贈を受けたもので、県立高知城歴史博物館の渡部館長(56)が内容を紹介。1905(明治38)年の元日には、医業を譲り、保育事業に専念することについて「昨年 から決意を固めつつあった。今年こそ実現する」と記されており、渡部館長は「強い意気込みが感じられる」。
 参加者は「地元でも知名度はまだ低い。顕彰の機運を高めたい」と話していた。
(平野愛弓)
 音次郎生誕155年&音次郎会発足5周年記念講演「~ 開巻~ 音次郎史料」のもようが、高知新聞に掲載されました。
 (記事の引用について、高知新聞社 デジタル事業部に申請済み)

 なお、当日の資料などは研究材料に掲載されております。



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2019.6.8 Sat 6月定例会を開催

現在の四万十市中村京町に立つ石碑「ここから紺屋町」  音次郎会6月は「紺屋町音次郎の足跡」と題して、今までに音次郎会が調査してきた音次郎の紺屋町での足跡を浦田会長が発題しました。(14時から中央公民館にて開催)

 音次郎は明治と元号が変わる4年前の1864年、幡多郡竹島村(現在の四万十市竹島)に生まれます。7歳の時に紺屋佐竹家の養子となります。それ以来、実家の宮村家へ戻ったり、八束村へ婿入りしたりしますが、生涯「佐竹」姓を名乗り続けました。これは1つの音次郎研究をする上でのミステリーでもあります。

 少年音次郎が触れた中村の「お町文化」が、後の保育の父・佐竹音次郎を形成するために必要不可欠な資質を与えたと考えられます。

 音次郎は現在のどの場所の、どの家で佐竹少年として暮らしたのか? 音次郎が見た「お町・中村」はどうであったのか? 様々な史料をもとに歴史の謎に旅しました。

(11名参加)





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2019.4.27 Sat 2019年度 定期総会を開催

起立して総会を進行させる議長。史料寄付者から鎌倉名物鳩サブレーも贈られてきた  定例会で事前に検討した議案に従って、保育の父・佐竹音次郎に学ぶ会 2019年度定期総会を中央公民館研修室において開催しました。

 今年度は役員改選の年でしたので、若干の異動がありました(役員名簿参照)。また去年の総括と新年の展望は事業活動計画から読むことができます。

 主な取り組み内容は、音次郎会は設立5年目の節目の年です。引き続き、保育の父の「心」を地道に伝える事を中心に活動をします。粘り強く、郷土に佐竹音次郎の「福祉の心」が広がるように取り組んで行きます。特に、子供に音次郎の「困っている人を助ける」という気持ちを伝えることを大切に考えたいと思います。

 総会では史料寄付者から贈られてきた鎌倉名物鳩サブレーも振る舞われました。

(15名参加)
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2019.4.13 Sat 2019年度 4月定例会を開催

音次郎講演会のチラシを分類する会員ら  新年度第1回目の定例会では、音次郎会新年度の取り組みについて活発な意見交換をして、4月27日の総会準備をしました。議論の末に導き出された事業活動計画は左の見出しにある事業活動計画から読むことができます。

 また、会議の後は「音次郎生誕155年&音次郎会発足5周年」ダブル記念講演会のチラシ配布準備をしました。今回は城博さんが講演して下さいますから、1人でも多くの方にご来場いただいて、聞いていただきたい思いで、チラシの四万十市全戸配布を計画しました。参加者皆さんの情熱にも感謝でした。

(9名参加)





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2019.4.8 Mon 高知城歴史博物館と今後の史料整備について打ち合わせる

狭い音次郎会資料室で歴史的資料を閲覧する渡部館長ら  再び、音次郎史料室に、高知県立高知城歴史博物館(通称:城博)館長と学芸員が訪れて下さいました。

 今回は、この貴重な歴史的資料をどのように整理していくかの打ち合わせと、5月10日の音次郎生誕日記念講演会の打ち合わせをする目的がありました。

 縁者からすべての史料が送られてきた以降に、まず目録づくりから着手する予定です。

 専門家による史料の整理作業は歴史研究をされる皆さんにとっても大変参考になると思います。日程が決まりましたら、皆さんにもお知らせいたしますので、自由にその光景を見学にお越し下さい。





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2019.2.21 Thu 高知城歴史博物館から学芸員が来訪する

狭い音次郎会資料室で歴史的資料を閲覧する城博学芸員ら  下田の若草園に間借りして保管しております音次郎史料の調査のために、高知県立高知城歴史博物館(通称:城博)から学芸員を含む2名が訪れて下さいました。

 今回は音次郎会に縁者から歴史的資料がたくさん寄贈されたことを受けて、その保存方法や今後の取り扱い方法を中心に手解きをして下さいました。音次郎会では史料の電子化をめざして皆様からの募金により高性能スキャナーを整備しましたが、その手前の段階を教授くださいましたので感謝でした。

 音次郎が子供の養育費を捻出するために書画会を開催しましたが、史料の中にはその奉加帳が含まれております(2月定例会の記事を参照ください)。それも貴重なのですが、むしろ1905(M38)年から1939(S14)年にかけて書かれた31冊の日誌が近代史研究の上で価値が高いと判断されるとの見解も示されました。

 相対的に今回寄贈された資料の保存状態は良いのですが、原本保存のために一層留意する必要があることが判りました。いずれにしましても、今後、電子化した物をふだんの研究に用い、原本保全に努めます。

 城博では平成31年度にも音次郎史料の調査を計画に入れて下さり、4月以降に再び継続的に調査して下さることになりました。

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2019.2.9 Sat 2月定例会「芳名簿の解読~経過報告~」

日外アソシエーツ社の「明治大正人物事典 Ⅰ政治・軍事・産業編」および「Ⅱ 文学・芸術・学術編」

 寄贈された音次郎史料を読み解いて、音次郎が展開した事業の概要を研究する事は、音次郎の繰り広げた子供救済事業を具体的に知り、深め、音次郎の福祉の心に触れる事につながります。

 今回は音次郎が開催した書画会の芳名録(奉加帳)2冊の電子化が完了しましたので、それを元にそこに記録されてある人物を調査しました。その研究経過が中平副会長より報告されました。

 音次郎の書画会は1905(M38)年に第1回が開催されており、それ以降は継続して開催され、音次郎在世中に20回程度開催されたと推測されます。今回音次郎会が入手できた奉加帳はその内2冊だけです。残念ながら第1回の物はなく、第2回か3回のもの1冊と、第4回と明示された奉加帳の2冊です。前者は第2回と3回や賛助会員名簿などを合本されたような内容です。

 2冊合わせて書画を提供して下さった延べ467名の氏名と提供する書画の枚数が記載されています。音次郎会では人物調査のために日外アソシエーツ社の「明治大正人物事典 Ⅰ政治・軍事・産業編」および「Ⅱ 文学・芸術・学術編」を活用しました。今の時代インターネットで人物調査をする事も可能ですし、またそれを活用することによりより詳しく調べられる場合もあります。今後、音次郎会としての史料展示なども合わせ考えて、写真の人物事典は参考資料として購入し、史料の参考書として共に保管しておくことにしました。

 今後、音次郎会と世の中の様々な研究をされている方々とのつながりの為にも、ここに掲載されている人名すべてを情報として発信していきたいと考えています。現在、名簿を活字化作業中ですので、しばらくお待ちください。

(6名参加)

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2019.1.1 Tue 音次郎会から年賀状

各代表者の顔写真が載っている。  寄贈された音次郎史料第3弾の中に、鎌倉保育園の年賀状がありました。これは1928(昭和3)年のものです。

 新年の御慶び千里同風 重畳(じゅうちょう)目出度御祝ひ申し上げます。御蔭を以て私共、各地の事業も子供も皆、順調に発育しつつ、感謝致しております。尚、幾久しく御心添えのほど、偏(ひとえ)に御願い申し上げます。

 古い表現です。蛇足ですが、
  千里同風:千里四方に同じ風が吹く。世の中の太平なようす。
  重畳:幾重にも重なること。
 という意味です。

 差出人として、財団法人鎌倉保育園。下部にはそれぞれの支部代表者が並んでいます。
  鎌倉本部代表 佐竹音次郎
  京城支部代表 曽田嘉伊智
  旅順支部代表 佐竹昇
  台北支部代表 三井たま子

 なお、台湾支部(台北支部)の三井たま子さんの親族から、台湾支部設立に関する貴重な歴史的資料が届けられた記事が2018.12.5にございます。











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2018.12.8 Sat 12月定例会「続々届く!音次郎資料アラカルト」

 到着した史料第3弾の中から事務局の瀬戸の視点で、届いた史料を取り上げて紹介しました。
子どもの養育費捻出のために開催した書画会芳名簿と、その実物と推定される書画 地所売渡約定書と領収証 借用金証書とそれらが納められていた茶封筒、募金袋 宮内省からの下賜金目録と、昭和27年のお中元明細
(写真左端) 届けられた木箱の中には、2018.10.3 Wed記事「書画会芳名録が到着」でお伝えしました奉加帳に関わる品と推定される書画の実物でしょうか(?)、水墨画が1枚入っておりました。これについては落款などから今後、鑑定をしたいと考えています。
(写真左から2番目) 同じ箱の中にあった角2茶封筒には地所売渡約定書や領収証などがたくさん保管されていました。
(写真左から3番目) 「創立以来経営苦心の記録書類」という別の茶封筒には鎌倉銀行などの借用書がたくさん入っていました。封筒に書かれている通り、経営苦心の様子を感じ取ることができます。それと平行するように募金袋の現物も木箱の中にはありました。
(写真右端) また、木箱の中には1910(明治43)年に初めて受け取って以来、定期的に鎌倉保育園が頂戴していた宮内庁の下賜金の目録も多く含まれていました。届いた史料の中で最古のものでは、1924(大正13)年のものがありました。お中元手当(今で言う夏のボーナス?)の受領書もありました。

 また、鎌倉保育園の年賀状もありました。これは2019.1.1 Tueの記事で紹介させていただきます。
(4名参加)
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2018.12.5 Wed 台湾支部設立に関する資料が提供される

鎌倉保育園の台湾支部と現在の徳星幼児園。同じ建物を活用していることが建物の形状から見て取れる

 音次郎は鎌倉保育園の支部という形で朝鮮、中国、台湾に児童救済事業を展開しました。太平洋戦争の敗戦によってすべての海外支部から日本人は引き上げ、海外事業は収束しましたが、その後も事業がそれぞれの形で継承されている海外支部もあります。

 この日、音次郎会ホームページからメールが音次郎会に届きました。差出人は戦時中に台湾に渡った父母や祖父母のルーツ調査をされている方からでした。その方の大伯母さまが、なんと佐竹音次郎が台湾で開設した台湾支部長であったことが判明したと言うことでした(上記、2019.1.1 Tue「音次郎会から年賀状」に顔写真あり)。その関係から、音次郎が台湾総督府に提出した鎌倉保育園台湾支部の設立に関する資料の写しや、懐かしい当時の写真などを届けてくださいました。

 これは、音次郎会がインターネット・ホームページを開設してからのホームページ存在意義という点で最大の朗報と言えるでしょう。

 台湾支部は音次郎が展開した海外4支部の中でも特色がありました。鎌倉保育園の本部も他の3支部も、どちらかといえば保育園とは言え内容的には現在の社会福祉法上の分類で言うところの「児童養護施設」に当たる施設ですが、台湾支部は現在の分類で言うところの「幼稚園」に当たる施設でした(ただし児童養護施設の部門も存在していた)。この鎌倉保育園台湾支部は、事実上、台湾歴史上初の幼稚園となりました。その幼稚園は現在も同じ場所で私立幼稚園として事業が継承されています(上記の写真)。

 この台湾支部については、それだけで多くの興味深い内容を含みます。まず、台湾総督府が音次郎に提供した建物が舜帝廟(しゅんてい-びょう)という建物だったと言うことです。台湾総督府は1895(明治28)年に開庁しますが、その時、台湾の中心部に庁舎を建造するために舜帝廟を郊外に総督府が移設しました。音次郎はその舜帝廟の敷地を総督府に譲り受けて、その場所で児童福祉事業を運営しました。総督府がその台湾の史跡を音次郎に委ねたこと、また台湾住民の思いがそこにあったことも想像されますが、台湾支部での通所型児童福祉事業(=幼稚園)が盛況だったことなど、当時の台湾情勢について様々な示唆が与えられます。

 いずれ、音次郎会の研究が更に進めば、各支部の成り立ちと運営など、別個に研究題材となっていくでしょう。その足がかりとなる出来事でした。

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2018.10.28 Sun 横山充男交流会
横山充男氏と共に竹島にある音次郎史跡巡りをした写真。夢の碑と音次郎の墓石の前で笑顔の参加者6名  横山充男さんは少年時代を中村で過ごし、郷土の魅力をおりこんだ本をたくさん書いておられます。現在、音次郎会からの依頼を受けて音次郎の伝記を執筆してくださっています。

 今回、横山さんと共に音次郎の史跡巡りをして、夕食を共にする交流会を企画しました。

 横山さんは当日の午前中、四万十市図書館でも講演をなされ、その中で保育の父・佐竹音次郎についても触れて語ってくださいました。このように音次郎を研究する人の輪が広がっていることを音次郎会としてもうれしく思います。

(史跡巡り6名+交流会8名参加)




















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2018.10.18 Tue 竹島小学校へ出前授業
竹島小学校6年生教室で保育の父・音次郎の話をする事務局 瀬戸と中平副会長  音次郎の生家のある四万十市立竹島小学校の6年生学級から、保育の父・音次郎についての出前授業の依頼があり、音次郎会から学校を訪問しました。

 竹島小6年生教室では総合学習で佐竹音次郎を取り上げていて、私たちが訪問したときには既に竹島にある音次郎の史跡巡りは先行して完了していました。その時の記念写真が教室の後ろの黒板に掲示されていました。また、竹島小学校の階段踊り場の各種情報コーナーには「郷土の偉人に学ぶ」として、音次郎が紹介されており、音次郎会が制作したリーフレットなどが掲示されていました。

 今回の総合学習の時間は3-4時間目とたっぷり取ってくださっていて、事前に伺っていた子供たちが疑問に感じていた事などを取り上げながら、音次郎の全般的な話をしました。

 佐竹音次郎は本年度制作された 「高知の道徳」 にも紹介され、高知県下の小中学校全児童に配布されています。これからも保育の父・音次郎に関心を持ち、道徳や総合学習の題材に取り上げて頂けるようにと願っています。

(音次郎会2名+6年生11名+担任1名 出席)










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2018.10.13 Sat 10月定例会「桑原戒平と沖本忠三郎」
上半分、会議テーブルを四角に並べて、発言している田中全氏。下半分、10月行事のチラシ  桑原戒平と沖本忠三郎は佐竹音次郎・熊夫妻にとって大変ゆかりのある人物です。

 戒平は音次郎が上京した時、音次郎を書生として向かい入れ、巣鴨小学校で勤務するように導きました。その後、戒平は音次郎の居る鎌倉へ転居し、晩年は音次郎と家族同様に交流をして、共に鎌倉教会で信仰生活を過ごしました。

 忠三郎は熊の父です。四万十市間崎から鍋島に一家で転居し、その後、仕事の関係で全国を転々とします。この時代に娘達にも高等教育を施していた忠三郎ですが、まだその人物像は明らかになっていません。長女の幸子は音次郎が開いた腰越医院を引き継ぎ、音次郎を背後から支えました。この忠三郎一家の墓は鎌倉にあります。

 戒平と忠三郎も軍人の時代、上司と部下の関係がありました。また、戒平は音次郎が宮村家から佐竹家へ養子となってもらわれて行った家系とも関わりがあったことも判りました。動く歴史と家系存続の血筋を守る攻防の中、音次郎が佐竹姓を名乗り、生涯その名前を貫いて活動した沿革を描いてくださり、歴史ミステリーを感じるひとときとなりました。
(16名参加)








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2018.10.3 Wed 書画会芳名録が到着
 音次郎会では念願だった音次郎の貴重な歴史的資料が、佐竹家縁者より寄贈されることになり、8月以降、続々と事務局に到着しております。これから目録を作成して系統的に整頓して管理していく予定です。

 その中でも、今回は特に歴史的な価値が高いと思われる「芳名録」を紹介します。

 音次郎は腰越医院を設立する傍ら、困っている母子に見かねて「小児保育院」の看板を掲げて保育事業(現在の児童養護施設)に着手します。ところが、不幸なことに院内感染により預かっている子供と自分の実子を亡くしてしまいます。痛恨の念に駆られた音次郎は一念発起し、保育事業に専念をします。これまでは医業で養育費を創出していましたが、縁故者からの提案により有名人の書画を頂いて集め、書画会を開催し、そこでの販売益で養育費を捻出するようになります。

 この芳名録には、当時の有名人の名前が数多く登場します。音次郎が如何にたくさんの人々から賛同を得て、小児救済の事業に邁進していったかが手を取るように判ります。

 この史料も募金によって購入できたスキャナーにより、電子化をしていく予定です。次回のメールマガジンで詳しくお知らせしますが、電子化にはたくさんの人手が必要となります。貴重な歴史的資料の電子化作業に協力してくださるボランティアを募集する予定です。

 これからも保育の父・佐竹音次郎に学ぶ会にみなさまのお力添えを、よろしくお願いいたします。

 写真ををクリックすれば拡大してみることができます。

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2018.9.11 Tue 高知新聞 厚生文化事業団の助成が決定
 音次郎会では設立以来の取り組み目標にしておりました「音次郎に関する資料の整備」ですが、このほど、高知新聞 厚生文化事業団の助成金事業として認可され、補助を受けて音次郎を紹介するリーフレットを作成することになりました。

 高知新聞幡多支社から取材に来られて、活動内容を記事にしてくださいました。

 下の写真ををクリックすれば新聞の切り抜きを拡大してみることができます。
(紙面の引用について、高知新聞社デジタル事業局デジタル編集部の許諾済み)

 この件に関してはメールマガジン8号に詳しく掲載しております。



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2018.9.6 Thu 日誌や書簡寄贈 2018年9月6日高知新聞切り抜き

 音次郎会に貴重な歴史的資料が縁者から寄贈され、この吉報を高知新聞幡多支社が取材に来てくださり、記事にしてくださいました。 →「ここ」←をクリックすれば拡大してみることができます。
(紙面の引用について、高知新聞社デジタル事業局デジタル編集部の許諾済み)

 また、新聞記事でも取り上げていただいておりますが、この重要書類を安全に保存し、研究のために多くの人が閲覧できるように、音次郎会では電子化することにしました。そのために必要なスキャナー(読み取り機械)を購入するための緊急募金をお願いすることになりました。2018年10月末までに目標金額20万円で募集したところ、ほぼ目標が達成され、購入することができました。ご協力を感謝いたします。


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2018.8.17 Fri 緊急臨時三役会 開催
 音次郎会では設立以来の取り組み目標として「貴重な歴史的資料の収集」を挙げておりました。この日、佐竹音次郎の貴重な歴史的資料<第1弾>が縁者から寄贈され、到着しました。これを受けて緊急臨時三役会を開催して、保存方針など基本的な事柄を話し合いました。

 現在、音次郎会の事務局連絡先である「若草園」にて一時的に収蔵しております。

 また、この重要書類を安全に保存し、研究のために多くの人が閲覧できるように、音次郎会では電子化することにしました。そのために必要なスキャナー(読み取り機械)を購入するための緊急募金をお願いすることになりました。2018年10月末までに目標金額20万円で募集したところ、ほぼ目標が達成され、購入することができました。ご協力を感謝いたします。

 写真をクリックすれば、史料到着後の様子が見えます。

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2018.8.16 Thu 没後78年記念 墓前祭2018 開催
当日はあいにくの荒天となり、13名の参加でした。
墓前礼拝とのことですが、墓は山の上で狭く、防災センター内で実施しました。
また予定していた史跡巡りも、安全を考慮して中止しました。

下のチラシをクリックすると当日の様子が見えます。
発見! 音次郎
Discovery of Otojiro
夏休み特別企画
墓前祭2018
来年の5月には平成から新しい元号に変わるけど、明治って時代があったの知っている? それは今から150年も昔。高知県では今、志国高知 幕末維新博をやっているね。江戸時代から近代に変わったのが明治時代だよ。その頃、高知県でもたくさんの人が活躍したんだ。その中の1人に竹島生まれの「佐竹音次郎」がいるよ。でも音次郎さんは、まだ坂本龍馬ほど有名じゃないんだ。一体どんな人なんだろう? 竹島の山をピクニックして、この夏、音次郎を発見する冒険に出かけよう! お友達もさそって、おうちの人といっしょに来てもいいよ。
8月16日 木曜日 あさ9時~11時 竹島防災コミュニティーセンター集合(高知県四万十市竹島409)
参加申し込み不要、当日、直接現地集合
お問い合わせ⇒音次郎事務局(若草園 電話0880-33-0247)
持ち物:「高知の道徳」(持っている人だけ)、汗ふき、飲料水
服装:山歩きできるもの
保護者の皆様へ:このプログラムは「保育の父・佐竹音次郎に学ぶ会」の主催で、地元の偉人・佐竹音次郎の足跡を地域の方々に広める活動の一環として企画しました。お子様だけの参加も、保護者だけの参加も歓迎します。佐竹音次郎はキリスト教徒でしたので、墓前祭はキリスト教式で執り行われます事を、あらかじめご了承下さい。


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2018.6.8 Sat 6月定例会「紺屋町佐竹家の系図」 今回引用された本の表紙画像。右から縦書きで昭和50年11月、紺屋佐竹家の歴史、上岡正五郎編、と書かれています。また、画像をクリックすれば音次郎の載っている系図が表示されます。申し訳ございませんが、系図にはアイパートナーが付け加えられておりません。
 今回はテーマを「紺屋町佐竹家の家系図」とし、紺屋町(現在の京町)出身の浦田一雄会長に語って頂きました。
 参考資料として提示された上岡正五郎編「紺屋佐竹家の歴史」(1975[S50].11発行)に掲載されている家系図から、音次郎に関する部分を取り上げて、音次郎研究の基礎資料に加えました。この本では音次郎がなぜ佐竹を名乗り続けたかのヒントもありました。また、育ての母・馬の素性や離縁された日付などが判りました。
 上岡正五郎氏は音次郎の父・宮村源左衛門を「源右衛門」と書き間違えています。この本でで引用している「中村市史」でも同じ間違いをしている事から、市史編纂にも上岡氏が関与した可能性がでてきました。乾綾雄氏は情報提供をしただけか? など、疑問が膨らみました。ちなみに乾氏の著書では「源左衛門」となっており、正しいのです。
 四万十市立中央公民館 3F 研修室3にて開催。
 8名参加。

          本の表紙をクリックすれば、音次郎が           掲載されている部分が読めます。  ⇒
         (上岡氏が書き間違えた部分は
          訂正して掲載してあります)



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2018.4.26 Thu 高知新聞K+の幡多偉人伝に掲載
K+の記事。5000人の困った人を助けたなど、音次郎の活躍した記事がある。最後には平成の時代、現在の保育事情を音次郎はどう見守っているだろうかと締めくくられている。

高知新聞社発行の新聞折り込み広報誌「K+」の連載記事、「幡多IJIN偉人伝」に佐竹音次郎が取り上げられました。ライターの中平直さんは取材にあたり音次郎事務局を訪問して下さり、詳しく取材をして、音次郎の当時の事、そして平成の保育事情と関連づけて興味深く音次郎を紹介して下さっています。







(記事の引用掲載について、高知新聞社 営業局 営業推進部の許諾済み)






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2018.4.21 Sat 2018年度 定期総会を開催 総会の様子。ロの字型に会議用テーブルが6つ並べられており3人の男性の背中から正面へ向かって撮影。右手にはブラインドが上げられて、窓も開けられ、やわらかい春の日差しとそよ風が会議室に入ってきている。

議案1 2017年度の活動報告・収支報告
議案2 2018年度の活動計画・予算案
議案3 会則の改定
音次郎会4年目の総会を開催し、上記の議案が承認されました。活動報告と活動計画について、詳しくはこちらをご覧下さい。また、ご希望の方には5月10日の講演会(音次郎交流会)にて議案書をお渡しします。また、その後に発行します会報でも詳しく報告させて頂きます。14名参加。

◆今後の開催日程
 6月 9日(土) 定例会    14~16時 公民館3階 研修室3
 8月16日(木) 没後78年墓前祭 9~12時 竹島防災センター集合/竹島墓地
10月13日(土) 定例会    14~16時 若草園
12月 8日(土) 定例会    14~16時 竹島防災センター
 2月 9日(土) 定例会    14~16時 公民館3階 研修室3

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2018.4.13 Fri 田内千鶴子⇔佐竹音次郎 時代を超えた愛の架け橋の集い 旧竹島神社(廃殿)の敷地内にある音次郎が建立した夢の碑の前で説明に聞き入る参加者達。 高知出身・田内千鶴子さんの長男「保育の父」佐竹音次郎の墓へ
地元メンバーとともに佐竹音次郎の墓を訪れた田内基さん=中央(四万十市竹島)
 韓国で多くの孤児を育てた「木浦(モッポ)の母」田内千鶴子さん(高知市出身)の長男、田内基さん(75)が13日、「保育の父」佐竹音次郎の出身地、四万十市竹島を訪問した。音次郎の顕彰活動に取り組む地元メンバーらと交流し、児童福祉の精神などを語り合った。
 基さんは日韓交流に携わりつつ、両国で福祉施設の運営などに尽力。医師だった音次郎は約120年前、身寄りのない子どもを預かる小児保育院を神奈川県鎌倉市に開設し、児童施設の名称に初めて「保育」を使ったとされる。
 千鶴子さんら土佐の社会事業家を研究する高知大学地域協働学部の玉里恵美子教授が、交流のある基さんに音次郎の業績を紹介。音次郎が設立した鎌倉保育園は韓国にも支部を設けていた縁もあって、基さんの来訪につながった。
 市民有志でつくる「保育の父・佐竹音次郎に学ぶ会」の案内で、基さんは音次郎の墓や生家、辞世の句を刻んだ碑などを視察。「音次郎には鎌倉に立派な墓があるが、小さくてもいいから父母の側で眠りたいと願ったため、竹島にも墓がある」といった説明に聞き入っていた。
 基さんは「母は海の向こうに高知があると言っていた。古里を愛し人間を愛する心は音次郎とも相通じる。福祉は地元の理解と支援が大切。こちらの人々の素朴さに触れ、私も学ばねばと貴重な時間になった」と語った。
 「保育の父・佐竹音次郎に学ぶ会」の浦田一雄会長(65)は「子どもを愛する2人の心は古里の風土に育まれたのだと感じた。われわれの使命として音次郎の精神を広めていきたい」と、活動の拡充に意欲をみせていた。(兵等剛)

音次郎と田内千鶴子は同じ高知県で生まれ、違う時代~それぞれ日本の転換期~に子供を守るために活躍しました。今回、音次郎会では、田内千鶴子の長男・田内基氏をお迎えして歴史的な交流を実施しました。
当日の様子が高知新聞に掲載されました( 記事のホームページ引用について、高知新聞社デジタル編集部の許諾済み)。13名参加。
























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2018.2.10 Sat 第5回定例会を開催 音次郎第5回定例会のチラシ。上に空色に縁取りされた飾り文字で「第5会 定例会の案内」とあります。画像はすべて文字で、12ポイントの文字でこう記されています。新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくおねがいいたします。音次郎会3年目も大きな成果が得られて年度末を迎えました。1年を振り返り、新しい年度に向けて計画をおこす大切な話し合いを持ちたいと思います。委員の皆様各位も時節柄たいへんお忙しい事と承知しておりますが、「保育の父・佐竹音次郎に学ぶ会」の発展のために万障お繰り合わせの上ご参加下さいますよう、お願い申し上げます。日時2018年2月10日(土曜日) 14~16時 場所 四万十市立中央公民館3F 小会議室Ⅱ

今回は次年度の事業計画など、事務的要素が強い討議事項が多かったため、音次郎会役員のみに案内して開催した委員会となりました。
2018年度も5月10日(水)の音次郎誕生日に講演会を開催することが大筋で決まりました。
会員定期総会は4月21日(土)です。いずれも、中央公民館の開催です。いずれも午後2時からです。

また、新年度からは定例会をその名の通り「定例化」することが話し合われました。音次郎会の開催がますます計画的になります。4月から4年目になる音次郎会に、ますますご期待下さい。7名参加。


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2017.11.25 Sat 第4回定例会を開催 音次郎第4回定例会のチラシ。左上には音次郎の写真。中央に大きく音次郎会 定例会#4と書かれています。右上には鎌倉の地図と、鎌倉を走る江ノ電の写真があります。左下には会場の地図があります。書かれてある文字は次の通りです。11月25日土曜日 午後2時~4時竹島防災コニュニティーセンター(高知県四万十市竹島409)。「保育の父・佐竹音次郎に学ぶ会」では発足3年目にして初めて、音次郎が活躍した鎌倉の地を踏みました。関係各所を表敬訪問し、わずかな時間ですが音次郎の足跡を探訪しました。今回の定例会は、その旅の収穫をみなさんと分かち合う「鎌倉報告会」として計画しました。音次郎自伝『聖愛一路』の風景を語り伝える機会と致します。『聖愛一路』の冒頭で紹介されている「街の人気者、タネさん」が口ずさんだ讃美歌を再現する時も持ちます。みなさまのご参加をお待ちしております。

ふたたび下田地区竹島防災コミュニティーセンターにて開催しました。この場所は音次郎が通い、また小学校教師の道が開いていった竹島小学校の跡地でもあります。今後は音次郎の地元でもありますので、この場所でも定例会を開催していきたいと考えています。鎌倉訪問ツアーの報告を中心に開催しました。詳しい内容は「メールマガジンvol.6」をご覧下さい。13名参加。







                      (↑クリックすれば大きな画面で読む事が出来ます)
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2017.10.16-18 Mon-Wed 鎌倉訪問事業 鎌倉訪問事業の計画書表紙です。鎌倉訪問事業と上に大きく書かれています。その下に江ノ電がトンネルから抜けて走る写真。その下には漫画調の鎌倉の地図。一番下には2017.10.16月曜-18水曜と書かれています。
音次郎準備会当初から、鎌倉保育園の後進である聖音会や鎌倉在住の音次郎子息にはたびたび生誕地にお越しいただき、会の発展にご尽力いただきました。音次郎会の研鑽や史料発掘の目的も含めて、今年度は音次郎会として鎌倉訪問事業を計画し、実施しました。詳しい内容は「メールマガジンvol.6」をご覧下さい。4名で実施。



                              →
                       画像をクリックすれば
                       旅の様子が見えます。




■□鎌倉訪問事業の土産話□■
↑こちらをクリックすれば読めます。
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2017.9.16 Sat 第3回定例会を開催 2017年第3回定例会の様子。中央に熱弁する中平副会長。ロの字に机が並んでいて、11人が座って話を聞いています。中平さんは両手を机にひろげてついて、座って話しています。その後には背の高い窓が3つ並んでいて、台風が接近している空模様がよく分かります。四万十川の水が増えているのも見えます。
今回は初めて試みとして下田地区竹島防災コミュニティーセンターにて開催しました。当日は台風18号が接近し、防災センター本来の目的である避難所として、会場が解放されました。しかし、幸い大した雨も降らず、避難する住民はありませんでした。高台の良い景色の中で学習会と定例会をもちました。今回は墓前祭で持たれた小学習会の続きで、中平菊美副会長から「夢の碑」について語って頂きました。11名参加。










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2017.8.16 Wed
 佐竹音次郎没後77年記念 墓前礼拝 墓前祭のプログラム。ユリの絵があるデザイン用紙に日時と場所が書かれています。用紙には聖書の言葉「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。ヨハネの福音書11章25節」が書かれています。
「保育の父・佐竹音次郎に学ぶ会」が発足してはじめてなる墓前祭を実施しました。音次郎の墓は事業を展開した鎌倉市にありますが、本人の遺志により郷土の竹島墓地にも昭和41年に分骨されました。音次郎はどのような思いだったのでしょうか。墓前祭の後には、小さな学習会も竹島集会所で行いました。墓地には集会所から箱バンに分乗していきました。14名参加。



                              →
                       画像をクリックすれば
                       会の様子が見えます。



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2017.6.3 Sat 第2回定例会を開催 2017年第2回定例会の様子。中央公民館3階の会議室。ブラインドが閉められていますが、外が明るいようで、隙間から光がたくさん見えます。斜め後ろからの写真で、写真の奥で事務局瀬戸が話しているのを13人が聞いています。一番手前には頭の薄くなった白いカッターシャツを着た人が座っています。
佐竹音次郎の甥にあたる乾綾雄さんの遺品から、綾雄さん宛の音次郎毛筆の手紙が新たに発見されました。この「音次郎3書簡」の1つを読み解き、『音次郎の夢』について事務局(瀬戸)が語りました。詳しい内容は「メールマガジンvol.5」をご覧下さい。四万十市立中央公民館にて開催。14名参加。













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2017.4.27 Thu 第1回定例会を開催
乾綾雄さん4男さんより遺品(音次郎からの書簡3通)を預かりました。保育の父・佐竹音次郎に学ぶ会では音次郎史料や文献が少ないため、今後の発掘と刊行も運営の目的に加えております。このグッドニュースをきっかけに、今後の展開に大いに期待が膨らむ定例会になりました。また、講演会や新年度の役員体制、事業計画についても話し合われました。四万十市立中央公民館にて18時から開催。10名参加。

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2017.3.21 Tue 維新博看板設置される 維新博の音次郎看板。竹島集会所の川のほとりに、フェンスがあります。そこに1枚は固定されています。「佐竹音次郎 辞世の句碑」と書かれています。大きさは40cmかける18cmほどです。焦げ茶色に白い文字です。川の流れのような模様が入っています。もう1枚の写真は竹島神社入り口にある看板です。「佐竹音次郎 夢の碑」と書かれています。デザインは同じです。下から見上げた写真で、青空がバックです。
高知県では、大政奉還150年に当たる平成29年と、明治維新150年に当たる平成30年の2か年にわたって、歴史を中心とした博覧会「志国高知 幕末維新博」が開催されます。四万十市においても地域会場や周遊コースができています。音次郎会のPR活動の甲斐があって、この中で佐竹音次郎ゆかりの史跡が取り扱われています。県道20号下田港線に維新博の看板も設置されました。どこに設置されているか、現地を散策してみましょう。

開催期間 平成29年3月から平成31年1月まで
 第一幕:平成29年3月4日(土)から第二幕開幕まで
 第二幕:平成30年1月から平成31年1月末まで

しまんと特別企画展
 会 場:四万十市立中央公民館
 入場料:200円

維新博の公式ホームページがございます。
維新博は終了しましたが、自然&体験キャンペーンがスタートしています。
http://bakumatsu-ishinhaku.com/

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事務局所在地

〒787-0155
高知県四万十市下田2211 若草園内

保育の父・佐竹音次郎に学ぶ会
  (通称:音次郎会)

連絡先

TEL 0880-33-0247

メール:info@otojiro.link



かっこいい毛筆書体で音次郎会と書かれてあります。 題字:林 博氏