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┃保┃育┃の┃父┃・┃佐┃竹┃音┃次┃郎┃に┃学┃ぶ┃会┃★┃通┃信┃

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┃ ┃音┃次┃郎┃会┃◆┃I┃N┃F┃O┃◆┃v┃o┃l┃.┃0┃3┃

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 厳しい夏に向けての恵みの雨の季節になりました。

 

 保育の父・佐竹音次郎に学ぶ会(通称:音次郎会)から会員の皆さまに会報

 (メールマガジン)により会の動きを報告させていただきます。

 

 今号では、発足2年目の講演会・総会と新年度の計画を中心にご報告します。

 

◆◇INDEX◆◇

 

【1】2016年度 総会・講演会の報告

 

【2】高知大学にて「土佐の社会事業家に学ぶ研究会」が立ち上がる

 

【3】聖愛一路の頒布について

 

【4】「保育の父」という冠・佐竹音次郎

 

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【1】2016年度 総会・講演会の報告

 

 5月10日(火)佐竹音次郎の生誕152歳の日、19時から四万十市中央公民館において音次郎会第2回定期総会と講演会が開催されました。

 

 ●総会報告

 

 <活動報告の総括>

   設立総会、市民大学は計画通りに実施でき、内容も充実していたが参加者

  動員が弱く、せっかくの機会がもったいなかった感がある。音次郎会組織の

  部分では現在会員数77人で役員体制も分掌表を作成して徐々に固まりつつ

  ある。機関誌・ホームページによる広報活動はゆるやかに展開されており、

  インターネットから会員登録の申し込みが来るなど、徐々に効果が出てきて

  いる。ホームページのアクセス数は203である。助成金は社会福祉法人栄

  光会、幡多信用金庫が継続的に支援して下さり、今後もその拡大を模索して

  いきたい。市広報や新聞記事なども一定の掲載はあり、県議会便りに佐竹音

  次郎に関しての質疑応答が掲載されるなど、市民の目に触れる機会は増えて

  きた。案内板設置については市長訪問を実施し陳情したが、今後の知名度ア

  ップなどが課題となっている。

   創設初年度としては、参加者、役員、行政などの協力を得て順調な活動が

  展開できた。

 

 <決算>

   助成金・寄付金の合計が約56万円。大部分は栄光会からの助成金である。

   設立総会・記念講演会の開催費用などに約30万円、運営費に約4万円。

   次年度には約22万円を繰り越した。

 

 <新年度役員>

   会 長:山ア祥正

   副会長:西内育二朗 中平菊美  宮村和輝  浦田一雄

   委 員:宮村喜久  安藤眞   兼松成   佐竹和平

       小椋茂昭  片山晴文  宮村忠道  今津一志

       黒岩譲   岡村冨美孝 野地ちえみ 土居佐枝子

   監 事:浜口貞雄  平岡和好

   事務局:瀬戸雅弘

   会 計:増田幸一(ユキカズ)

 

   新役員には、副会長の浦田さんは海外勤務が長く、音次郎生家宮村家の遠縁に

   あたる。委員の片山さんは音次郎の地元竹島地区の区長。今津さんは竹島小学

   校長。小椋さんは監事から委員へ異動。監事の平岡さんは栄光会の理事長。

   会計の増田さんは栄光会が運営する児童養護施設若草園の主任指導員。

 

 <活動方針>

   設立2年目となる音次郎会は引き続き、まず佐竹音次郎の存在を知っていただ

  くことからはじめていきたい。機関誌やインターネット・ホームページも今ま

  で通り活用して情報発信して、広報活動に努めたい。

   会の運営については、役員会を定例会とし、自由参加となったため、普段の運

  営から興味や関心のある参加者を巻き込んで、会の目的に沿った活発な運営が

  展開できるように心がけていきたい。

   音次郎に関する史料が少ないため、今年度は特に重点的に、学童向けの紙芝居

  などマンガで訴えかける教材の作成や、「竹島の偉人」の再版など、文献づく

  りに取り組みたい。

 

 <予算>

   助成金・寄付金・繰越金で55万円。栄光会と若草園からの助成金は30万円。

   総会・講演会に23万円、運営費に12万円、文献作成の為に20万円。

 

 ●講演会報告

 

 <演題> 「佐竹音次郎の育児事業と高知人脈」

 <講師> 佐竹要平先生(日本社会事業大学専任講師、音次郎ひ孫)

 

  中村出身の幸徳秋水や弘田長(ツカサ)、妻熊子の姉・沖本幸子との繋がりや、板垣

  退助との繋がりなど興味深い内容でした。

  なお、当日配布された資料ををホームページに掲載しております。

   ⇒ http://otojiro.link

 

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【2】高知大学にて「土佐の社会事業家に学ぶ研究会」が立ち上がる

 

 音次郎会が発足するきっかけとなった、若草園創立55周年記念事業の一環で開催

 された「保育の父・佐竹音次郎にまなぶ」講演会の講師を務めて下さり、また、昨

 年の四万十市民大学にも来て下さった高知大学地域協働学部 副学部長 玉里恵美

 子教授(社会学博士)の発案により、高知大学にて「土佐の社会事業家に学ぶ研究

 会」が立ち上がりました。

 

 明治維新以降、自由民権運動と共に高知からも多くの社会活動家を輩出しています。

 とくに、社会活動の展開で活躍が著しい方々を取り上げて研究するのがねらいです。

 

 (現在、研究対象に挙げられている人物)

  佐竹音次郎(1864元治1〜1940昭和15)→困窮した子どもを支援

  奥村多喜衛(1865慶応1〜1951昭和26)→ハワイ移民を支援

  岡上菊栄 (1867慶応3〜1947昭和22)→孤児を支援

  田内千鶴子(1911明治44〜1968昭和43)→韓国で孤児を支援

 

 <活動目的>

 ・土佐出身の社会事業家の哲学・実践を学ぶ

 ・資料の蓄積

 ・後世に伝える(発信)

 ・「土佐だから」、「土佐に息づく考え方・実践」があるのではないか。その共通

  点を見つけていく。

 ・資料の散逸が心配され、集約する場所がない。これを課題にする。

 ・田内千鶴子愛の会、音次郎会、奥村多喜衛協会など、市民団体の活動内容につい

  て、情報交換する。

 

 音次郎会としても、今後、この研究会と連携を深めて行きたいと考えています。

 

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【3】聖愛一路の頒布について

 

 前号で紹介させていただきました音次郎入門用とも言える『聖愛一路』ですが、今回の講演会をお祝いして、神奈川県の音次郎が設立した法人の後進にあたる聖音会様より50冊ご寄付いただきました。音次郎会の発展のために自由に用いて下さいとのご配慮により、音次郎会の会員様に頒布することに致しました。この収益は音次郎会の会計に寄付されて、本会の運営資金とさせていただきます。

 

 この場では先着10名様に1冊1千円にて頒布いたします。ご希望の方は音次郎会事務局までお問い合わせ下さい。

 

 『新版・聖愛一路』

 監修:高田 彰 発行:文芸社 2003年3月 1,296円

 (1940年に発行された「聖愛一路」の改訂版)

 

 「聖愛一路」は音次郎が提唱した基本的精神です。自他の区別無く愛を注ぐという聖書の理念が込められた言葉です。この本では音次郎の伝記から基本理念が読み取れます。

 

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【4】「保育の父」という冠・佐竹音次郎

 

 「保育の父・佐竹音次郎に学ぶ会」が発足する時、会の名前をどうするかで結構な時間を費やして討議しました。「名は体を表す」と言われる通り、その会の活動内容を表すのにふさわしいネーミングをするように議論しました。偉人を顕彰し、後世に語り伝える趣旨の会は数多く存在しますが、「○○を顕彰する会」というのはありき

 たりではありますが、一般的でもあります。若草園を約30年にわたって支えていただいた地元の先輩から「その福祉の心を学びたい」との思いで、設立55年記念講演会では「保育の父・佐竹音次郎にまなぶ」講演会と命名しました。それを受けて音次郎会が発足したのですから、「音次郎に学ぶ」という部分は生かしたいとの結論に至りました。

 

 その次に、また議論としては、「保育の父」と入れるか入れないかでした。佐竹音次郎の知名度は低く、人々の興味を引く必要もあります。「保育の父」と言う切り口はとても興味深い内容です。そこで音次郎会の正式名称は「保育の父・佐竹音次郎に学ぶ会」と、多少長い名前になりました。通称として「音次郎会」と呼ぶ事にもなりました。今後、新聞やマスコミにて音次郎会の活動が取り上げられる時、必ず正式名称で表現される事に着目して、会の名前だけで音次郎が何をした人物かが判るように

 もしたい、とのねらいもあります。

 

 さて、その「保育の父」と冠を付ける根拠がなければお話になりません。音次郎会の名称を定める時に参考にした資料から、佐竹音次郎が「保育の父」との称号を冠すのにふさわしいかどうか、保育の父と呼ばれている人たちを例証しつつ、ご説明いたしたいと思います。

 

 ◆保育という名称

 (佐竹要平著「佐竹音次郎と小児保育院―事業を支えた家族―」

       キリスト教社会福祉学研究42号<2009年>より引用)

 音次郎は、施設の名称を付ける際、孤児という言葉を嫌った。それは、実際に子どもが孤児となり施設に収容されたとしても、すでに我が家に受け入れたからには、自分はその子らの父であり、彼らは自分の子どもである。すでに親子の縁が結ばれた以上は、たとえ立派な親ではなくても自分という親ができている以上はもはや孤児では

 ない。そればかりか、孤児を孤児として取り扱うようでは孤児の父たる資格はない。

 また孤児が孤児として取り扱われている限りは、ともすれば彼らの捻じれてしまった性格を矯め直すことなど到底できないという思想に基づいていたからである。そのため、「保んじて育つように」という願いを込め「小児保育院」と命名している。

 

 ◆保育の父と呼ばれる人

  ・倉橋惣三(児童心理学者)1882明治15年〜1955昭和S30年

  形式化した明治以来のフレーベル主義を改革、幼児教育の発展に尽くした。

  1948昭和23保育学会を創設。

  

  ・服部賢準(寺の住職)

  1921大正10年、農作業中放置された幼児を見て託児施設「子供の家」を開所した。

  1949昭和24年、愛知県における第1号の保育園として認可を受けた。

  その施設は現存している。記念碑に「幼児保育の父」とあり。

  

 保育という言葉や理念も、時は明治、情報も物流も人の移動も大変だった時代です。

 音次郎が提唱した理念も、各地で同時多発的に自生していたのかもしれません。

 今後、言葉の歴史について言語学者等に「保育」を調べていただく必要も感じますが、年代的に言えば少なくとも佐竹音次郎が日本で始めて「保育」という言葉を生み出し、「保育の園」という機関誌を発行して造語として「保育」の言葉を用いています。この保育という言葉を産み出した佐竹音次郎に「保育の父」との称号を捧げたいと思います。私財をなげうって子供を救済した、草の根運動のような地道な活動でした。彼へ捧げる冠は「保育の父」という月桂冠がふさわしいのではないでしょうか。

 

 (事務局:瀬戸雅弘)

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 現在の会員数 78 名 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

2016.6.11 Sat

 

  日本で初めて「保育」という言葉を生み出した『佐竹音次郎』に関心のある方、

 入会希望者のご紹介など、お気軽にご一報ください。

 

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  │保育の父・佐竹音次郎に学ぶ会│     会長 山ア祥正

  └──────────────┘ 事務局:四万十市中央公民館内

                   「保育の父・佐竹音次郎に学ぶ会」

 各種お問い合わせは →→→ 四万十市下田2211(若草園内)

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