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┃保┃育┃の┃父┃・┃佐┃竹┃音┃次┃郎┃に┃学┃ぶ┃会┃★┃通┃信┃

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┃ ┃音┃次┃郎┃会┃◆┃I┃N┃F┃O┃◆┃v┃o┃l┃.┃1┃5┃

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          (名義)保育の父・佐竹音次郎に学ぶ会 副会長 中平菊美

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          (名義)保育の父・佐竹音次郎に学ぶ会

 新型コロナ第4波は変異ウィルスにより今までにない速度と規模で急拡大しています。

保育の父・佐竹音次郎は1902(明治35)年著作の『結核征伐』で病原菌が「風のまにまに

吹き散らされ」「多数の人が狭い区域の空気を吸入」すると蔓延を助長することを指摘

しています。現在の三密回避と同じ発想です。

 

 「歴史は繰り返す」、先人から学ぶことはたくさんあります。音次郎会から会員の皆

さまに会報(メールマガジン)をお届けします。

 

◆◇INDEX◆◇

 

【1】史料整理作業の現状~電子化データ公開はじまる

【2】2021年定期総会の御案内

【3】「読み物シリーズ」の開始について

 

――――――――――――――――◆◇◆◇

 

【1】史料整理作業の現状~電子化データ公開はじまる

 

 2019年5月10日 音次郎生誕155年・音次郎会発足5周年記念講演会として高知県立 高知

城歴史博物館の渡部 淳館長、筒井聡史企画員に講演を頂いて以来、城博さんの協力によ

り音次郎史料の整理と解読作業が続いております。

 いままでに4回実施して、毎回、貴重な新しい発見があります。

 特に、第3回の史料整理作業では宿毛の偉人・坂本嘉治馬との接点も見いだせました。

これから明治維新後の様々な歴史研究者と連係しつつ、新しい時代の夜明けがどうであっ

たかを知りつつ、未来を見つめる歴史研究ができればと願います。

 

●音次郎会としての課題

 

 奉加帳の1つ1つの署名は、当時の著名人の直筆と思われ、個性的で読めない字も多

く、また当時は崩し字も体系化されて居らずそれぞれの在り方であったことから、「それ

が誰か?」を調べられないものが多くあります。現在、奉加帳の人物名で解読できている

のは3分の1程度です。

 

●芳名簿のインターネット公開

 

 現在、保育の父・佐竹音次郎に学ぶ会ではホームページ上で芳名簿を公開しておりま

す。その筋に明るい方のお力をお借りしたいと考えております。「音次郎会 芳名簿」と

検索すると、音次郎会の「研究資料」のページにたどり着くことができます。

 また、そのページには既に判明している人物のリストも掲載しております。この2つを

合わせ見て、音次郎会でまだ解読できていない人物を教えてくださいますよう、お願い申

し上げます。

 

●今後の文献調査

 

 現在1つ1つの文献に対して調査カードを作成し、それを元に分類をしようとしており

ます。この調査カード作成作業は手にある史料の約8割が完了しております。これらの調

査カードも電子化して見出しを検索できるようにしたいと考えております。また、それぞ

れの文献自体も電子化して、公開可能なものについてはホームページで公開したいと考え

ております。

 

――――――――――――――――◆◇◆◇

 

【2】2021年定期総会の御案内

 

 2021年定期総会を音次郎生誕157年の誕生日に、下記の通り開催いたします。新型コロ

ナウィルス第4波の襲来もありますため、感染症に対して感受性の強い方は参加をご遠慮

ください。

 例年、総会と生誕記念講演会を別に開催しておりましたが、今年は状況を判断して主要

な行事の開催はいたしません。

 しかし、事務的な会の運営になってはなりませんので、今回の総会の中で『2020年度の

研究成果、新発見!』として1年間の成果発表を行います。これまでに取り組んできて見

えてきたこと、それを踏まえて今後の課題について取り扱いたいと思います。

 最新の音次郎研究成果を披露いたしますので、ご興味のある方はご参加ください。

 

日時:2021(R3)年5月10日(月) 10:00-12:00

場所:アピア(apia)さつき 2F事務所 会議室

 

◆講演

 『2020年度の研究成果、新発見!』(中平菊美副会長)

◆議事

 第1号議案 2020年度活動報告

 第2号議案 2020年度収支決算・監査報告

 第3号議案 2021年度活動計画

 第4号議案 2021年度予算

 第5号議案 役員の改選

 

――――――――――――――――◆◇◆◇

 

【3】「読み物シリーズ」の開始について

 

 コロナ禍にあって2021年度はこれを「巣ごもり活動の好機」と捉え、縁者から寄付され

た貴重な資料の解読などの研究活動を中心とした1年にする予定です。研究活動は、取り

組んでいますと楽しいものですが、専門的な内容になってしまうことは否めません。

 そこで、今までの研究成果を多くの人に興味深く関心をもって頂けるように「読み物シ

リーズ」を作るようにしました。4月の総会準備時会で出された意見を受け、今回から本

シリーズを設けることにしたものです。

 「保育の父」として歩んだ佐竹音次郎を、色々な方面から、それぞれの立場の人が魅力

的に感じてもらえればと願っております。

 

 その第1回目は「曽祢荒助のこころ配り」です。

 曽祢荒助は、第1次桂内閣で第10代大蔵大臣などを歴任した人物です。

 『聖愛一路』(鎌倉保育園事業45周年記念誌、日能光子著、1940[昭和15]年版)61pには、

鎌倉保育園が設立されるきっかけとなった出来事が記されています。その時に出会った曽

祢荒助氏との繋がりが、それ以降の音次郎の弱者救済事業の広がりを決定づけたと言って

も過言ではありません。

 この時、曽祢氏の深く心優しい気配りが、これからの音次郎の福祉事業が開いていく鍵

となりました。昨年1年の取り組みの中で発見された事実に基づき、1つの物語としてま

とめました。別冊にいたしました。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 現在の会員数 91 名 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

2021.4.29 Thu

 

  日本で初めて「保育」という言葉を生み出した「佐竹音次郎」に関心のある方、

 入会希望者のご紹介など、お気軽にご一報ください。事務局から案内をお送りしま

 す。高齢化により、会員数が自然減している現状です。

 

  ┌──────────────┐

  │保育の父・佐竹音次郎に学ぶ会│ 会長 中平・安藤副会長による協働代行

  └──────────────┘

 各種お問い合わせは →→→ 四万十市下田2211(若草園内)

                0880-33-0247 瀬戸へどうぞ♪

  ホームページ:http://otojiro.link eメール:info@otojiro.link

 

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┃保┃育┃の┃父┃・┃佐┃竹┃音┃次┃郎┃に┃学┃ぶ┃会┃★┃通┃信┃

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                              ┃別┃冊┃

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【読み物シリーズ 1】

 

~2020年度音次郎会活動成果特別読み物~

 

「曽祢荒助のこころ配り」

 

原作:中平菊美/加筆:瀬戸雅弘

 

 曽祢荒助(そね・あらすけ)は、第1次桂内閣で第10代大蔵大臣などを歴任した人物で

す。

 『聖愛一路』(鎌倉保育園事業45周年記念誌、日能光子著、1940[昭和15]年版)61pに

は、鎌倉保育園が設立されるきっかけとなった出来事が記されています。その時に出

会った曽祢荒助氏との繋がりが、それ以降の音次郎の弱者救済事業の広がりを決定づけ

たと言っても過言ではありません。

 この時、曽祢氏の深く心優しい気配りが、これからの音次郎の福祉事業が開いていく

鍵となりました。昨年1年の取り組みの中で発見された事実に基づき、1つの物語とし

てまとめました。

 

①曽祢荒助との出会い

 

 開業した腰越医院に小児保育院と看板を掲げ、児童福祉事業に着手した音次郎だった

が開設から10年目の春、相次いで不幸が訪れた。水疱瘡、百日咳、麻疹と、恐ろしい伝

染病は幼児達に容赦なく襲いかかった。ついには2人の女児が命を落としてしまった。

そのうち1人は彼の四女愛子であった。

 痛恨の極みに苛まれた音次郎は「そもそもこの狭い医院で大勢の子供を養育するのが

間違い」と一念発起。鎌倉の地へ移転を決意した。

 幸いすぐに土地は見つかり、思いがけない寄付金にも恵まれ、敷地だけは確保でき

た。

 建物の資金繰りに思いあぐねていたところ、1つの妙案が浮かんだ。これまでに音次

郎の事業に関心を持ち、協力を寄せる者があったが、その一人が子爵秋月新太郎(あきづ

き・しんたろう)(書号、古香)であった。秋月氏を通じ侍従長東久世通禧(ひがしく

せ・みちとみ)氏や大蔵大臣子爵曽祢荒助氏などの理解者を得られていた。そこで彼は曽

祢氏の門を叩くことにした。1905(明治38)年のことだった。

 曽祢氏はこの時、第1次桂内閣で第10代大蔵大臣を務めていた。彼は亡くなった秋月

氏が音次郎に書画を寄付し、それを頒布することにより事業資金としていたことから、

音次郎に奉加帳を買ってくるように命じた。

 音次郎の差し出した奉加帳に曽祢氏は「拙書額二百枚曽祢荒助」としたためた。そし

て音次郎に縁故者数十人の名刺を渡してこう言った。

 「おれが二百書くからほかへ百ずつ願いなさい」

 こうして集った天下の名筆2万点は翌年の春、音次郎の手によって広く一般に頒布さ

れ、鎌倉保育園の建設資金となったのである。

 

②なぞ

 

 この詳しい経緯は『新版・聖愛一路』に記されているが、今まで保育の父研究の中で

「なぞ」とされていたことがあった。

 それは、この奉加帳は2018年に他の歴史的資料と共に縁者から音次郎会に寄贈された

が、この奉加帳を作るきっかけになった

 

「拙書額二百枚曽祢荒助」

 

 と記された、はじめの奉加帳が見当たらなかった。

 話の流れから、曽祢氏が初筆を執り、奉加帳1ページ目の1行目に記したことと想像

される。しかし2冊現存している奉加帳の初筆は、1つは第4代及び6代総理大臣の松

方正義氏、もう1つは逓信大臣を務めた後藤新平氏であり、いずれも曽祢氏ではなかっ

た。

 奉加帳の1冊にははっきりと「第4回 慈善書画会賛助 芳名簿」と記されているた

め、1つは第4回の物であると確定される。ところがもう1冊には回数の記録はなく、

記名部分の欄外に「第2回」や「第3回」とあることから、2~3回目の奉加帳だと理

解してきた。

 そう考えると、曽祢氏が初筆を記名した奉加帳は行方不明となっている、と仮説を立

てざるを得なかった。

 それと同時に不可解だったのは、第2~3回目の奉加帳の冒頭のページでは5人の名

前が連なっているが、その1人が誰なのか解らなかった。はじめから順に総理大臣・松

方正義、侍従長・東久世通禧、1人とばして日本画家でもある貴族院議員・宗重望、左

端に明治の3筆と言われていた書家・金井之恭。これだけ著名な4人が揃っているにも

関わらず、中央の3人目の人名だけはどうしても解読不能であった。

 この奉加帳を入手してからというもの、あらゆる書家や歴史研究者に解読を依頼して

きたが、ついぞ分からず仕舞いだった。しかし、きっと中央の3人目の人物はこの4人

に並ぶ一角の人物には違いないだろうと考えていた。

 

③閃き

 

 奉加帳に並んでいる人物名の読み取りは至難のわざだった。しかも、貴重な第1回の

ものは失われている。そして、冒頭のページの3人目がどうしても読めない。頼るべき

所には尋ねたが、ここへ来て万策尽き果てた。諦観の境地に至った。

 その時、音次郎が時折体験したという霊夢のように、天から光が射し込むような心地

がした。

 この3人目の筆跡が息を吹き返して踊るように目に飛び込んできたのだった。

 

「おれが二百書く」

 

 この3人目の著名のすぐ上には、確かに「二百枚」と書かれており、その文字はハッ

キリと解読できていた。そして、さらにその上には「拙書額」とも記されていた。

 左右に署名された松方氏と金井氏は「百」と記しているが、この3人目の人物だけは

「二百」と記していたのだった。

 また、解読不明の署名の最後の文字は「助」らしいことも見えていた。

 すると、二百枚の下に書かれた署名の1文字目が「ソ」に見えてきた。そして続く文

字が「ね」と見えた。曽祢氏の名前を崩して書いた時、「曽」の上の部分は「ソ」。そ

して曽祢氏の「祢」は万葉平仮名の「ね」の崩す前の元の文字だった。

 この中央の3人目の署名、この崩し字を書いた人物こそが「わたしが『曽祢荒助』

だ」と、生きて語りかけて来たのだった。

 また、これにより、この何回目の奉加帳か分からなかったものこそ、第1回目の奉加

帳と断定することができた。第1回目の奉加帳だからこそ、欄外に第2回や第3回の情

報を書き込むことができたという事がわかった。

 

④細かな心配り

 

 「自分は二百枚書くから、他に百枚ずつお願いしなさい」

 

 時の大蔵大臣・曽祢荒助は、音次郎を支援するために自ら骨を折った。自分の縁故者

に強いるために、自らはその倍を背負うことにした。ひと肌もふた肌も、音次郎のため

に脱いだのだった。

 そして、奉加帳には前2人分を空けて、自分の名前は3番目に書いたのだった。それ

は、寄付を募るこの取り組みが成功する為には、元総理大臣の松方正義氏と侍従長東久

世通禧氏が先頭に来てもらうのが良いと考えての事だろう。曽祢氏は、

 「自分よりももっと、右に来るに相応しい人がある。その方に、先に書いてもらいな

い」

 と、音次郎に説いた。それは曽祢氏の心配りだった。音次郎への支援が最大限、功を

奏するように熟慮を重ねた結果だった。

 これにより集まったのは276名からの2万点余の作品で、その販売純益約7千円が家屋

等施設代にあてられた。

 音次郎は奉加帳を持って縁故者を回るこの活動に、はじめは乗り気ではなかった。し

かし、曽祢氏はそのような音次郎に対してこう叱責した。

 

 「そんな弱気で移転などできるものか!」

 

 この曽祢氏が見せた強気は、単に権力を振り回すだけのものではなく、音次郎の働き

に心底ほれて、自分のことのように弱者救済の事業をどうやったら良く展開できるか、

考えに考えた結果だっただろう。

 自らが発起人でありながらも「3番目」に身を置くことにあまんじた曽祢氏の心配

り。これが慈善書画会成功への鍵となった事は論じるまでもないだろう。

 

注釈:曽祢荒助の名字は、旧書体では「曾禰」と書きます。それを現代の漢字では「曽

祢」と書きます。聖愛一路や一般的には「曽根」と記されることもありますが、今回は

話の流れの都合上「曽祢」の表記に統一しました。

  :「③閃き」にある「その時」とは、2020年9月13日土曜日未明2:00のことです。

曽祢荒助のそれぞれの漢字が、奉加帳の筆記体の文字に分解されており、手書きの文字を曽祢荒助と読み解くヒントになった過程が図解されている