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┃保┃育┃の┃父┃・┃佐┃竹┃音┃次┃郎┃に┃学┃ぶ┃会┃★┃通┃信┃

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┃ ┃音┃次┃郎┃会┃◆┃I┃N┃F┃O┃◆┃v┃o┃l┃.┃1┃8┃

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          (名義)保育の父・佐竹音次郎に学ぶ会 会長 中平菊美

          ゆうちょ銀行 振替口座 01650-8-43162

          (名義)保育の父・佐竹音次郎に学ぶ会

 

 

 音次郎の貴重な史料は2018.8.17(金) に第1弾が鎌倉の音次郎子孫から到着して、10.3

(水)に第2弾、11.17(土) には第3弾が届きました。2019.5.10(金)、音次郎生誕155年

&音次郎会発足5周年記念講演会を高知県立高知城歴史博物館長さんらを招いて開催し、

特別講演「佐竹音次郎関係資料をめぐって~その概要と個人史の捉え方~」にてその概要

を取り上げて頂きました。

 その後、城博さんの協力を得ながら全史料の目録作りをしております。また、日誌(原

本)については電子化でもご尽力頂きました。まもなく目録作りが終わろうとしておりま

す。その記念すべき瞬間がまもなく訪れます。

 

 保育の父・佐竹音次郎に学ぶ会(通称:音次郎会)から会員の皆さまに会報(メール

マガジン)をお届けします。

 

◆◇INDEX◆◇

 

【1】日誌(原本)の電子化が完了する

【2】石井十次を学ぶ会との交流

【3】竹島小学校へ総合学習で訪問する

【4】ホームページアドレスの変更

【5】2月定例会の御案内

 

――――――――――――――――◆◇◆◇

 

【1】日誌(原本)の電子化が完了する

 

 冒頭に記しましたとおり遺族から受け取った貴重な史料は城博さんのご支援の元、整理

作業が順調に進んでおります。中でも着手に困難が予測された手書きの毛筆日誌について

は2020年9月臨時定例会「城博学芸員と史料整理③」の折に城博さんが日誌31冊を持ち帰

り電子化に着手してくださいました。2021年3月、臨時定例会「城博学芸員と史料整理④」

の時に撮影データ9,355枚が入ったハードディスクと共に返却して下さいました。

 その後、事務局にて内容を確認し、データを整えて合計8,964枚の画像データに集約い

たしました。今後は原本保存する共にこれを印刷して閲覧に供していきます。

 

[日誌原本電子化の流れ]

2020.9.22(火) 高知県立高知城歴史博物館により電子化着手

2021.3.11(木) 同完成

2022.1.11(火) 整頓完了、日誌1のみ試験的にコピー機にて印刷する

 目下、音次郎資料室備え付け用の写本をどの方法で作成するかを検討中。

 

――――――――――――――――◆◇◆◇

 

【2】石井十次を学ぶ会との交流

 

 音次郎会発足のきっかけとなった若草園創立55年記念講演会にて講師を務めて下さっ

た高知大学 地域協働学部 玉里教授の提案により、岡山市で活動されている「石井十次を

学ぶ会」を訪問し、交流をしました。

 玉里教授は音次郎会会員でもありますが、音次郎の講演後も高知大学でも「土佐の社会

事業家に学ぶ会」を立ち上げられ、音次郎会としても研究会に参加してきた経緯がありま

す。11.16(火)に音次郎会資料室を訪問して下さり、今後の地元の歴史上人物を顕彰活動

する上において、中平会長、小椋副会長、事務局と共に打ち合わせをいたしました。

 12.8(水)、この4人で岡山の十次の会を訪問しました。

 「石井十次に学ぶ会」は2018(H30)年7月14日から活動を始めています。岡山市東区大宮

地区(旧西大寺市)の少子高齢化対策として、教育や福祉を中心に地域作りのため発足し

たようです。大宮地区に存在する地域福祉施設を行政と連携して活用しながら活動をされ

ていました。

 東区宿毛(しゅくも)にある福祉交流プラザ山南(さんなん)には石井十次に関する資

料が常設展示されています。

 東区下阿知にある岡山市大宮コミュニティハウスは十次に学ぶ会による研修会場となっ

ており、十次御膳という特別メニューがあって希望により注文することができます。東区

上阿知には石井十次がはじめて孤児を保護した大師堂と医院跡地が隣接して残っていま

す。県道沿いに大きな案内看板と無料駐車場が準備されていて、史跡への道案内も表示さ

れていました。史跡には美麗な看板、丁寧に用意された説明看板、展示資料も充実してい

ます。

 十次の会について詳しくは、石井十次を学ぶ会ホームページがあります。音次郎会が訪

問した記事もさっそく掲載してくださっています。

 https://ishiijyuji.com/

 

――――――――――――――――◆◇◆◇

 

【3】竹島小学校へ総合学習で訪問する

 

 保育の父・佐竹音次郎のふるさと竹島にある竹島小学校。音次郎も、養子に行った中村

紺屋町の家庭が崩壊して竹島に戻って通った小学校です。この音次郎ゆかりの学校では伝

統的に音次郎学習をしています。

 音次郎会が発足してから総合学習にお伺いするようになりましたが、12.9(木)3回目の

出前授業を行いました。

 今回、元竹島小学校長である中平会長と事務局瀬戸が訪問したのは5年生の教室で、事

前に担任教師の指導により音次郎50音カルタが作成されていました。また質問も届けら

れていたのでそれを中心に話を広げました。

 12.21(金)、座学の延長で、この日は竹島に存在する佐竹音次郎史跡巡りを3-4時間

目を使って実施しました。11人の5年生の児童は2人の教師と音次郎会の2人に引率され

て冬の暖かい日差しの中、音次郎の遺跡に刻まれた音次郎の心を学びました。

 

[授業の一コマ……]

 

瀬戸 「か行!」

児童 「ジャジャン!」

瀬戸 「家族はね 七人家族の 大家族」

瀬戸 「これはねぇ……、みんなプレバト見た事ある? あれは俳句の勉強にすごくなる

よねぇ。みんなカルタを5・7・5の俳句形式で17音に仕上げてくれているけど、夏井

いつき先生がいつも『短い言葉で表現するには同じ意味の言葉は使わない』って何回も言

って、ゲストが作った俳句にデッカいバツとかやってるよねぇ。このカルタは『家族、家

族、家族』って3回も同じ言葉を言っているよねぇ。たぶん夏井先生だったらバツ、バツ、

バツって怒りのマークが出るねぇ。でもねぇ……音次郎会的にはこれ、okよ!」

 「この『家族』って言葉は音次郎さんが大事にした言葉なんだ。音次郎さんは困ってい

る子どもを預かって育てたでしょ? みんな若草園が作った音次郎のパンフレットも、

『万人の父になる』の本も読んでくれたから、よく知っているよねぇ。音次郎さんは自分

のつくった施設に孤児院という名前をつけるのを嫌ったんだよね。そして日本で初めて保

育園って名付けたから保育の父と呼ばれているんだよね」

 「音次郎さんの保育の特徴はねぇ、預かっている子どもも、自分の実の子どもも、同じ

ように大切にしたんだよ。自分の子どもだから大事。預かっている子どもはちょっとだけ

……って言うんじゃなくって、自分の子どもも預かっている子どもも差別をしなかった。

おんなじ家族として扱ったんだよ。みんなの中でお家でペット飼っている人、居る?」

児童 「犬、飼いよる……」

瀬戸 「ウチも猫飼っているけどねぇ、ペットも家族って言うじゃない? 人間と同じよ

うに大切にするからペットも家族って言うでしょ? 音次郎さんにとってはお家にいる人

はみんな同じように大切にしたの。それが音次郎の言う家族なんだ。だから、音次郎さん

が大切にした家族を、このカルタは3回も家族、家族って言ってくれていて、音次郎会的

にはこのカルタは花丸ですよ! この家族主義は音次郎さんのやった児童福祉の特徴なん

だよ」

 

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【4】ホームページアドレスの変更

 

 2022.1.4からホームページのアドレスが変更されてます。SSL暗号化に対応するためで、

より安全に音次郎会情報をご覧頂けます。ブックマークを登録されている方は冒頭の

「http://」を「https://」に変更ください。

 今は古いアドレスでも閲覧できますが、しばらくすると使えなくなります。ご注意くだ

さい。

 

旧アドレス  http://otojiro.link

新アドレス  https://otojiro.link

 

(アドレスの違いは始めから5文字目に“s”の字が入るだけの違いです)

 

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【5】2月定例会の御案内

 

 城博さんのご協力の下、進んでおります史料整理作業もラストスパートになりました。

 現在、9割方の作業が完了しております。これらの史料に初めて手に触れ、記録をして

いくまたとないスペシャルな体験ができるのも僅かです。ぜひご参加ください。

 

 コロナ感染爆発第6波の中ではありますが、感染予防対策を充分に講じた上で実施した

いと思います。当日、現場にも衛生用品は揃えております。

 

日時:2022年 2月24日(木) 11:00-16:00(部分参加可能)

場所:音次郎会事務局(下田の若草園 西棟1階)電話 0880-33-0247

 

[現在の進捗状況]

分類 資料番号 状況

日誌 1~31 完了(データ化も完了)

手紙 L1~86 完了(データ化も完了)

資料 S1~8 完了(データ化も完了)

木箱 1~162 完了(データ化も完了)

木箱 163以降 手書きカード完成、データ化依頼中

木箱 未調査残り35件

奉加帳 1,2 未着手

写真 未着手 (全体数量の把握も未完)

額 未着手 (全体数量の把握も未完)

その他 未着手 (全体数量の把握も未完)

 

 調査カードの電子化はNPO法人四万十市シニアネットワークさんのご協力によるもので

す。ありがとうございます。完了している調査カードの枚数は320枚です。木箱の資料番

号には枝番も存在します。未着手の部分は100枚程度ではないかと思われます。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 現在の会員数 111 名 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

2022.1.24 Mon

 

  日本で初めて「保育」という言葉を生み出した「佐竹音次郎」に関心のある方、

 入会希望者のご紹介など、お気軽にご一報ください。事務局から案内をお送りしま

 す。現在、鎌倉子孫の御協力により鎌倉一円の会員が増えております。地元で興味

 関心がある方があれば、ぜひ事務局に御紹介ください。

 

  ┌──────────────┐

  │保育の父・佐竹音次郎に学ぶ会│ 会長 中平菊美

  └──────────────┘

 各種お問い合わせは →→→ 四万十市下田2211(若草園内)

                0880-33-0247 瀬戸へどうぞ♪

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┃保┃育┃の┃父┃・┃佐┃竹┃音┃次┃郎┃に┃学┃ぶ┃会┃★┃通┃信┃

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┃ ┃音┃次┃郎┃会┃◆┃I┃N┃F┃O┃◆┃v┃o┃l┃.┃1┃8┃

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                              ┃別┃冊┃

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【読み物シリーズ 5】

 

音次郎が目指した軍人とは?

 

作:中平菊美

 

 音次郎は生まれる前から親戚である中村町の佐竹友七・馬夫婦にもらわれることが決ま

っており、宮村家に生まれながら宮村姓を名乗ることがなかった悲運の人である。養子に

行っても程無く養父母が離婚となり多感な少年の心を痛める。またその後郷里に呼び戻さ

れては、本人の意向を問うこと無く、音次郎を思う親の気持ちから農作業にあたらされ、

自分は何のために生を受けているのかと思い悩む。

 このような苦悩の幼少期を経て、17才の頃に「自分のように悩みを持つ子たちの支援

者乃至は保護者になる。」と決意をするに至る。最初は教員免許を取得し郷里の小学校に

勤めていたが、決意したことに十分な道ではないと気付き、軍人を目指している。先ず軍

人養成色の強い高知県立海南学校で1年間学んだ後、更に上級軍人学校を目指し上京した

が年齢的に受け入れられず軍人の夢は果たせなかった。

 「聖愛一路」にも、音次郎は幼い頃に腰に棒きれを差して軍人遊びをする姿が紹介され

ていて、軍人に憧れを持っていたことが伺える。

 彼の決意と軍人とは結びつきがたく、どうしてであったのか解明したい課題の一つであ

る。

 

①軍人観

 軍人に関して、音次郎が見聞きしたこととしては熊本の神風連の乱や佐賀の乱、西南の

役、徴兵制度の施行もあるだろうが、最も影響を受けたと考えられるのは、4才の頃の戊

辰戦争ではないだろうか。中村町やその周辺からも多くの人物が官軍として参加しており、

安岡良亮、谷神兵衛、谷口伝八、桑原戒平、佐田家親、桑原平八、沖本忠三郎、吉松茂太

郎等を見たり話に聞いたりしたのかもしれない。

 彼らの多くは武士(郷士)や庄屋の出で地域の名士である。その上に、正義の為に命を

かける姿は憧れの的で、人々は彼らの言動を尊敬の眼で見聞きしたことであろう。もちろ

ん幼い音次郎もそうであったに違いなく、それが軍人遊びとなって表れているのではない

だろうか。

 音次郎が戦の場を見ることはなく、死んだり負傷して苦しむ姿を見ることはなかった。

有ったのは、誰もが注目する「ひとかどの人物」の評価だけで、戦士ではあるがそれ以上

に正義を行う人というのが音次郎が抱いた軍人観であったのではないだろうか。つまり、

音次郎が目指す生き方「幼い者を中心に、困っている人を助ける人に」を行えるのが軍人

ととらえられたのではないだろうか。テレビは元より新聞やラジオすら及んでいなかった

環境であったことから、音次郎が軍人を志望したのは見聞きしたことから導き出した結論

であったのだろう。

 

②環境の違いがもたらす結果

 現代の者からすれば、何故軍人でない道を考えられなかったのかと不思議に思うところ

であるが、情報の入手が難しい環境であったことから、自分の目と耳に頼るしかなかった

であろう。そうした中で軍人が自分の決意を最も可能にできる職と受け止められたのであ

ろう。

 もし環境が違っていたならば、情報の入手も違い、別な道を考えたかもしれない。

 

 

§ 追跡記事 §

 

 

   『新版 聖愛一路』26p「その生い立ち」より抜粋

    なお、その当時は会津戦争の直後とて、これに出陣してきた兵士二、三人が界隈

   切っての英雄ともてはやされていた。彼らが竹刀を腰に、肩で風を切っては闊歩す

   るのも音次郎の羨望の的で、彼もまたこの勇士に倣って、いちび殻――麻の緒をつ

   くった残り――を竹刀代わりに腰に手挟んでは歩き回って喜ぶのだった。

 

    同33p「教員時代」より抜粋

    時は明治十九年のころ、当時の国情は民権思想の勃興により全国至る所に政治の

   論議が旺盛を極めていた。ことにその中心たる土佐にあっては、青年の多くは競う

   ように政党に走った。こうした環境の中に音次郎は独り武人を志し、婚家から帰る

   と一ヵ年を海軍学校に学び、その後、郷里を離れて東京に出た。ところが年齢の制

   限に妨げられて軍籍に入ることを許されなかった。せっかくの志も空しく、知る者

   とてない都の真中に放り出されて途方にくれた彼は、まもなく同郷人で東京の一郡

   長の職にある某氏の推薦によって板橋の巣鴨小学校長の椅子に就くことになった。

 

   ※ 抜粋文中の「東京の一郡長の職にある某氏」は、本文中に軍人として登場する

   桑原戒平のこと。桑原氏は1886(明治19)年8月~1886(M21)7月まで3代目北

   豊島郡長に就任しており、音次郎上京の年と一致している。なお桑原氏は北豊島郡

   長時代には板橋在住で書生を3人受け入れている。その中に佐竹音次郎が存在した。

   やがて音次郎が東京府尋常小学校教員検定試験に合格したので音次郎は巣鴨小学校

   へ教師として就任した。

 

   メディア小史

    全国的には読売新聞が1874(M7)年11月2日に創刊、高知県では土陽新聞が1877(M10)

   年に創刊される。日本初のラジオ放送は1925(T14)年3月22日のこと。さらに1939

   (S14)年3月に日本でNHK放送技術研究所によるテレビ実験放送開始。