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┃保┃育┃の┃父┃・┃佐┃竹┃音┃次┃郎┃に┃学┃ぶ┃会┃★┃通┃信┃

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                              ┃別┃冊┃

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【読み物シリーズ 11】

 

辞世の句碑を訪ねて!

 

作:中平菊美

 

 音次郎は晩年、辞世の句の制作に熱心であった。指導を太田水穂に仰いでいる。

 既に、自らの使命を教えいただいた竹島神社の神様に「夢」の石碑を建てて感謝を表し、

愛する生みの親に対しては亡くなったら傍に眠る準備も出来ている。後は幼少の頃よりい

つも話を聞いてくれる友であり、時には教えを与えてくれる師でもあって「育ての親」と

表現していたあの郷里の「撫松」への感謝を表すことを課題としていた。

 

 未だその出来映えに若干の悩みのある作品を持って、師匠の太田氏を訪れて指導を求め

たのは昭和13年11月12日のことである。

 

 吾死なば 死骸は松の根に埋めよ。

       己の(たましひの 心なる)松のこやしに

 

 太田氏は和歌にするように下の句を工夫することを薦めている。15日には「下の句を検

討中」の旨の記載が日誌にある。

 12月10日には歌を石に刻むためにと石田大理石工場を訪れ購入しているので、この日ま

でに完成したのではと思うが断定はできない。

 昭和14年1月6日、音次郎が「石に刻む字を書いた」とあり、翌7日には書いたものを持

ち太田氏を訪ねて指導を受けている。ここでの指導とは石に刻む字形やその配置などで

あったと思われる。このことから、句はこの日までに完成していたことは確かであろう。

 

 完成した歌は、

 

 我死なば 死骸は松の根に埋めよ  

          吾がたましひの 松のこやしに

 

 昭和14年9月に、最後の墓参になるだろうと初めて妻くまを伴って郷里に戻っている。

その際、撫松を訪れて別れを述べ、記念に辞世の句碑を置いたと乾綾雄氏は記している。

 竹島集会所の敷地内に現存している碑で、その石碑には句と共に音次郎の書号の「撫松」

の字も刻まれている。この石碑に関する記録は他に無いのだが、字は音次郎が書き、地元

の石屋に依頼したのではないだろうか。

 

 音次郎は自己宣伝しない、飾りをしない、無駄をしない人である。竹島神社境内に置か

れた夢の碑にはそのような音次郎の人柄が最も良く表れており「夢」一字のみで設置理由

や製作年も設置者名も無い。

 辞世の句碑も同様であるのだが、音次郎の書号の「撫松」があることに少し自己宣伝を

感じるかもしれない。しかしそうではないと解釈する。撫松は音次郎が愛する郷里の松に

つけた名前で、愛するが故に自分の書号にもしていた。つまり、撫松という言葉自体が松

への敬愛や感謝を表している。従って辞世の句碑に刻んだ「撫松」も、句同様に松に捧げ

る言葉なのである。

 

 辞世の句碑は昭和15年6月1日に鎌倉保育園の門脇にも設置されている。園の友会が事業

45周年を記念して設置したもので、この碑の字は音次郎が書き、当時理事であった昇が縁

取りをしたもので、石は石田大理石工場で購入したものである。

 現在は鎌倉児童ホームと名が変わった施設の門脇に、音次郎と妻くまの胸像と並ぶ形で

置かれ、上を松の枝が覆う景色になっている。設置時の門は現在の門の反対側つまり敷地

の裏側を流れる佐助川のほとりにあり、句碑もそこにあった。

 碑の側に憩う老体の音次郎の写真が残っているが、念願の辞世の句碑が建ったことに安

堵しているのか、これまでの歩みをあれやこれや思い浮かべて甘苦を味わっているのか。

17歳で心してからの一途な人生に終止符を打ちつつあるこの時、どのような思いに至るも

のなのだろうか。

 

 私が竹島の辞世の句碑に憩う時は「がんばったね、音次郎さん!」と思う。

 

(おおた みずほ、1876年(明治9年)12月9日 - 1955年(昭和30年)1月1日 歌人・国文学者)

 

[写真上]現在の竹島集会所にある辞世の句碑。地面に置かれた辞世の句碑の上に案内看板が2022年4月に設置された。看板の文字は「音次郎が1939年(S14)最後の帰郷のとき幼少より愛し「撫松」と雅号にまでした松にもお別れをと訪れ、この碑を置きました。碑は翌年、鎌倉保育園門前にも置かれました。ここより少し南側にあった松は音次郎死去の前日焼失してしまいました」。看板には鎌倉保育園に置かれた歌碑の写真と、辞世の句の読み方も記載されている。「我死なば 死骸は松の根に埋めよ吾がたましひの 松のこやしに」。[写真下]鎌倉保育園に置かれた句碑と音次郎。音次郎が歌碑の題材に腰掛けている。右手には木の枝で自作したと思われる杖を持っている。鎌倉の辞世の句碑は将棋のコマのような形をしている。内容はもちろん同じ。音次郎の上には松が植えられている。