保育の父・佐竹音次郎会に学ぶ会  会報32号

                        ―2025,7,3発行―

 

①新事務局と事務所

 

 長年本会の事務局を務めていただき、通信も担ってくださった瀬戸雅弘氏が事務局を卒業

することになり、代わりの事務局さんが決まるまでは私が受け持つことになりました。

 パソコン等の現代技術に弱い私ですので、通信にしても瀬戸さんのようにはできませんこ

とを先ずはお断り致します。

   <自己紹介>

 ・名 前  中平 菊美(なかひら きくみ)

 ・事務所  〒787-0019 高知県四万十市具同8588-115

 ・携 帯  090-7789-8749

 

②6月14日に総会終了

 

 前年度の決算と活動報告、今年度の活動計画と予算案、役員について承認されました。

 とりわけ皆様からの御寄付を含めた決算については、2名の会計監査員から「会の目的に

則し適正に出納が行われており、備えるべき領収書や記載が適正であると認めます。」との

評価を頂きましたことを報告させて頂きます。

 

③音次郎会の目的と主な取り組み

 

 11年目を迎え、改めて「本会は何を目指す会なのか」を再確認し、十分でない点の改善

を図るように努めなければと考えています。

 佐竹音次郎の郷土においてすらほとんどの人が名前も知らない状態にあることを残念に思

い、「多くの人に知ってもらいたい。」との思いから2015年5月10日に発足した本会

です。

 

 ○主な取り組み

  ・勉強会の開催・・・年3回程

    今年度は、第一回(6,14)子育て支援の先駆者 十次と音次郎

                  <会場:竹島集会所>

         第2回(8,9) 音次郎の里散策

                  <会場:竹島防災センター>

         第3回(2,14)音次郎が命名した孫「十太郎」

                  <会場:しまんとぴあ>

  ・会報の発行・・・3~4回

  ・学校の授業・現地見学・講演の依頼に応える

  ・小学校卒業生に音次郎関係の図書を贈呈する・・・今年で7年目

 

④第2回勉強会「音次郎の里散策」のご案内

 竹島小学校ではほぼ毎年実施していますし、時々は他からの散策希望者もあります。そう

した場合に会員の誰でもが対応できるようになりたいものです。竹島に残る音次郎関係の石碑

(夢の碑、生家の碑、辞世の句碑、墓碑)や広い農地や汽水域がある地域の特色などについて

ふれる内容です。

 

 ○勉強会場所の「竹島防災センター」の場所の案内。

  対岸の八束実崎とを結ぶ新大橋の竹島側付け根から土手を上流に向かい、150メートル

 ほどの突き当りにある建物です。

   

⑤間もなく二冊の芳名簿のレプリカが完成

 

 音次郎を知ってもらうには資料も必要です。明治38年と同42年につくられた芳名簿2冊

があるのですが、これも日誌と同様に貴重な資料です。完成したなら皆さんが見れるように

市や県の図書館にも置かさせて頂く予定です。

   *補足・・・「芳名簿」について少し説明します。

      正確には「書画寄贈者芳名簿」です。

      音次郎は医院の仕事を辞めて「保育事業」に専念しようと決めた

     のが明治38年です。医院という収入源を無くした代わりに、著名

     な方々から書や画の寄付をしていただき、ぞの販売によって事業の

     資金を得ることになります。書や画の寄付者の名前を記したもので

     す。多分ほとんどが寄付者の自筆で押印もしてあります。伊藤博文、

     東郷平八郎、渋沢栄一の名前もあります。

 

⑥小さな大発見「音次郎は患者に薬と共にこれも薬だと米を渡した。」

 

 この言葉は、音次郎の長女里から聞いたという渥美武雄氏が6月14日の総会に向かう

車中で話してくれたものです。医者であった頃の音次郎の姿を語るものです。

 私が関係した冊子類の中で、「音次郎は金の無い人からは金もとらない親切な医者であっ

た。」と書いているのですが、それは私の推測です。その推測が間違いではなかったと思わ

せてくれるのがこの渥美氏から聞いた言葉です。

 患者の病気に必要な薬と共に、病気を引き起こした大元に「米」に代表される栄養不足が

あると診たのでしょう、「これは薬だ。おかゆにして食べなさい。」だったようです。

 実に音次郎らしいと思いますね。たった一言ですが、音次郎についての大発見でした。