読み物シリーズ21
「私は社会の掃除人」
作:中平 菊美
これは音次郎が自分の使命とした言葉です。
音次郎の自叙伝とも言える保育事業45周年記念誌「聖愛一路」の116ページに次のよう
に書かれている。
「音次郎はわが子等に自分たちの使命は汚れたところをきれいにすることであるといつも言い
聞かせている。そして自分には社会の掃除人を任じていた。石鹸が己が身をすり減らして他の
汚れを洗い落とすように、彼は自分の存在が世の中を清くするために幾らかでも役立てばどん
な下役でも務めたいと願っていた。こうした気持ちから、その子どもたちが新しい生活の門出
には誰彼の別なく新婚旅行の代わりに厠掃除をさせることを不文律の家憲としたのである。」
*「わが子等」「その子どもたち」とは長女里、二女伸、三女花のこと。
世の中を清くすることとして音次郎が取り組んだのが、事情によって家庭生活や地域社会
生活ができなくなった人たちを受け入れて、安心できる暮らしを与えるという「保育事業」
である。
受け入れた人たちは、親が亡くなったり養育できなくなった小さい子どもや精神面や知的面
等に障害を持った人が多く、自力で通常の生活が行えない状態にあった。音次郎はそのような
状態にある人を黙って見ていられなかったのである。
音次郎と同様の思いを持つ人は何時の時代にもいたであろう。ただ多くの場合は衣食住を
与える取り組みで精一杯になったのに対し、音次郎の場合は、わが子わが家族として受け入
れて、衣食住を与えることは元より一人一人の将来を見据えて成長を図ることを重視した。
当時の生活困難者を救済する事業者の多くが困ったのは資金面で、政府が取り組むべき
との思いを持つ者が多かったようである。音次郎も特に事業の初期においては資金面に悩ま
された。しかし、国民みんながその家庭を生活困難者の為に開放することが最も大事と考え、
政府には生活困難者に対する国民の理解の普及を図ることを求めた。この「家庭の開放」や
「国民の理解の普及」は当時は希少な考えであり音次郎の保育事業の特徴である。
音次郎は「掃除人」という使命について、次のような趣旨で述べている。
「目の前にしたゴミを拾い集め、ゴミを無くすのが仕事である。従って目の前にしたゴミ
を拾う物と拾わない物を区別することは有り得ない。拾ったゴミの処理に困っても、それを
再び捨て去ることは無い。」
これは、保育園(家庭)に受け入れたが、どうにもなじまず家庭をかき乱す者がいて、他
の者から「家から出したら」と強い意見が出された時のものである。
また、こんな趣旨のことも述べている。
「その者の汚れは長年の中でついたものだ。だからその汚れを取り除くには時間がかかる
のは当然。もう少し待とう。」
「もう少し・・・」は音次郎の常用語であった。掃除人とのゆるぎない自覚から、音次郎
は受け入れた者に愛想尽かしをして捨てることは一切なかった。
厠掃除を大事にしたのは、家庭生活等の日常において最も触れたくないことの一つが厠掃除
だが、それを行うことによって世の中を清くする体質が築かれると考えていたのだろう。
厠に関する別の話も残っている。
音次郎が尊敬を寄せる一番上の兄卯太郎の三女寅野の子で孫にあたる乾 綾雄氏は、小学生
の頃から音次郎の鎌倉保育園に身を寄せて音次郎と起居を共にしていた。そんな乾氏が半世紀
ほども昔の厠での出来事を書いたものである。
(平成11年5月19日、身内に出した手紙より)
「抜け目のない人で、小便台に立っていた時に『君は何を考えて放尿しているかね。』と
訊ねられた時、馬鹿な返事をすると雷が落ちるので黙っていたら、『人間小さいことでも大き
なことでも、誠意を持ってあたらねばならぬ。力をいっぱいためておいて、一度に勢いよく
青い苔も棒切れも吹き飛ばすように力を込めて、よいかね力を込めるんだよ。わかったかね。』
と言われて、ハイと力強く答えたことでした。」
このように音次郎は厠(便所・トイレ)を通して子どもたちに大切なことを伝えようとし
ていた。ある者は恐れを覚えたかもしれない。またある者は人生の大事な教訓を得たかもし
れない。多くの者にとっては話題にもしたくない厠であるが、音次郎のように思いを持つ者
にとっては大事な存在になるのですね。
(2025,2,10作)