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四万十市竹島出身・郷土の偉人                                                 最終更新:2018.2.10 Sat

TEL. 0880-33-0247

〒787-0155 高知県四万十市下田2211 若草園内

「保育の父・佐竹音次郎に学ぶ会」ホームページへようこそ!

「保育の父・佐竹音次郎に学ぶ会」は
日本ではじめて「保育」と言う言葉を使った、
まだ余り知られていない偉人を研究して福祉の心を学ぶ任意の団体です。
佐竹音次郎の肖像画。音次郎会で使っている一番標準的な音次郎さんの画像です。国からの褒賞を受けた時に撮影されたと言われている、和服姿。紋付き羽織袴姿です。背景には床の間なのか、掛け軸が見えます。

N,E,W 英語でニュー。更新された目印が点滅して知らせています。

「佐竹音次郎の紹介」のページに新しいリンクができました。
「活動報告」のページに定例会の報告を掲載しました。



鎌倉訪問事業の土産話 @
横浜訓盲院の写真です。写真の下に文字が卒業記念撮影(昭和14年3月)と入っています。写真中央左に佐竹音次郎、右にドレーパー夫妻が座っています。背景にはすこしゆるやかな丘になっていて、その上に校舎が見えます。校舎の窓からは撮影の様子をうかがう子どもの姿も見えます。

佐竹音次郎が礎を築いた鎌倉保育園は、「孤児の父」と称される石井十次が展開した岡山孤児院と
同じ時代に設立されました。その大きな違いは、音次郎は保護する子供を「孤児」とは呼ばなかっ
ったことにあります。音次郎がその子の「父」として。妻・くまが「母」として、その子を育てる
のだから、もはやこの子は孤児ではない。保(やす)んじて育むのだから「保育院」である。そう
提唱しました。これが「保育」という言葉が日本で初めて誕生した歴史です。

音次郎が展開した保育園は今の保育園とは内容が異なります。乳幼児保育園の要素があり、児童養
護施設の要素があり、障害者施設の要素があり。複合的な児童福祉施設と言えるでしょう。

今回の鎌倉訪問で、音次郎の足跡を辿る中、盲学校と音次郎がつながっていたことも発見しました。

音次郎が晩年、盲学校の卒業式に参列している写真が見つかりました。
音次郎日誌には次のような記事があります。

T7.12.22 園父母鎌倉教会の礼拝に列する。4人の受洗者あり。ドレーパー博士の説教あり。
S14.2.27 岩崎氏横浜訓盲院に入院、退園す。

ドレーパー博士とは、横浜訓盲院の設立者です。音次郎会ホームページもこの事を契機に、視
覚障害者に配慮したホームページづくりをします。まずは、すべての画像に詳しい説明を付け
ました。(健常者には見えない改訂です)






事務局

四万十市立中央公民館内
「保育の父・
 佐竹音次郎に学ぶ会」

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高知県四万十市下田2211
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