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四万十市竹島出身・郷土の偉人                                                 最終更新:2018.5.3 Thu

TEL. 0880-33-0247

〒787-0155 高知県四万十市下田2211 若草園内

「保育の父・佐竹音次郎に学ぶ会」ホームページへようこそ!

「保育の父・佐竹音次郎に学ぶ会」は
日本ではじめて「保育」と言う言葉を使った、
まだ余り知られていない偉人を研究して福祉の心を学ぶ任意の団体です。
佐竹音次郎の肖像画。音次郎会で使っている一番標準的な音次郎さんの画像です。国からの褒賞を受けた時に撮影されたと言われている、和服姿。紋付き羽織袴姿です。背景には床の間なのか、掛け軸が見えます。

N,E,W 英語でニュー。更新された目印が点滅して知らせています。

1.「保育の父」と「木浦の母」交流会の様子を掲載しました(→活動報告)。

2. 2018年度定期総会を開催しました(→活動報告)。

3. 2018年度の音次郎会講演会「音次郎交流会」の案内を掲載しました(↓)。


「音次郎交流会」
 5月10日(木曜日)14時〜
 四万十市立中央公民館 1階大会議室

「保育の父・佐竹音次郎に学ぶ会」主催
四万十市教育委員会後援
四万十市区長会長承認
音次郎交流会
〜音次郎と、私との出会い〜
四万十市竹島出身・郷土の偉人
と き 2018年5月10日(木)14:00〜16:00
ばしょ 四万十市立 中央公民館 大会議室
基調提案者 保育の父・佐竹音次郎に学ぶ会委員 小椋茂昭
提案者 同会長 浦田一雄、同副会長 中平菊美、同事務局 瀬戸雅弘
進行役 同副会長 山ア祥正
〜入場無料〜
(招きの文書)――154年前、佐竹音次郎は現在の四万十市竹島に生まれました。時は明治維新。この幡多地域でも新しい道を切り開こうとする人達はたくさんいました。音次郎はその活躍を見ながら育ち、やがて日本で初めて保育園を設立しました。現在「志国高知 幕末維新博」が開催されておりますが、音次郎会でもこの機会に「保育の父の故郷」をアピールしていきたいと考えています。また少子化と児童虐待が社会問題となる時代にあって、音次郎の「福祉のこころ」を地域のみなさんと共有したいと考えています。
 歴史の中に埋もれていた保育の父・佐竹音次郎と出会い、その「音次郎のこころ」に魅了された人達の話しを通して、市民の住みやすい街づくり、「保育のまち構想」を進める取り組みをみんなで生み出していきましょう。ぜひ御参加ください。
音次郎情報はホームページにて! http://otojiro.link 検索キーワード「保育の父」
おといあわせ 連絡先 保育の父・佐竹音次郎に学ぶ会 事務局
郵便番号787-0155 四万十市下田2211 電話0880-33-0247
(若草園内 瀬戸または瀧澤まで)



鎌倉訪問事業の土産話 A「腰越のその後」

鎌倉市腰越にある神社・宝善院。音次郎の義姉・沖本幸子がここに眠っています。写真左は裏山にある沖本幸子の頌徳碑で、右側が寺の門です。以前は正門すぐの所にありましたが、裏山に移設されたそうです。

佐竹音次郎は、まず、腰越にて小児保育院を開設します。これが保育の言葉が初めて日本で文字となった瞬間の出来事です。それは音次郎が開業した腰越医院に併設されました。ところが、数年後、手狭になり、現在の佐助に鎌倉保育園として移転します。

さて、音次郎が開業した腰越医院はどうなったのでしょうか? それは妻くまの姉・沖本幸子が音次郎の事業を引き継ぎ、腰越医院の医療活動は継続されました。

沖本幸子は関東大震災にて一命を落とします。この腰越にある伝統的な寺院・寶善院(ほうぜんいん)には、彼女を顕彰する大きな石碑が建てられています。

写真左の裏山墓地で、ひときわそびえているのが、沖本幸子の石碑です。表には「其日のために」と刻まれています……(つづく)。


鎌倉訪問事業の土産話 @「音次郎と横浜訓盲院」
横浜訓盲院の写真です。写真の下に文字が卒業記念撮影(昭和14年3月)と入っています。写真中央左に佐竹音次郎、右にドレーパー夫妻が座っています。背景にはすこしゆるやかな丘になっていて、その上に校舎が見えます。校舎の窓からは撮影の様子をうかがう子どもの姿も見えます。

佐竹音次郎が礎を築いた鎌倉保育園は、「孤児の父」と称される石井十次が展開した岡山孤児院と
同じ時代に設立されました。その大きな違いは、音次郎は保護する子供を「孤児」とは呼ばなかっ
ったことにあります。音次郎がその子の「父」として。妻・くまが「母」として、その子を育てる
のだから、もはやこの子は孤児ではない。保(やす)んじて育むのだから「保育院」である。そう
提唱しました。これが「保育」という言葉が日本で初めて誕生した歴史です。

音次郎が展開した保育園は今の保育園とは内容が異なります。乳幼児保育園の要素があり、児童養
護施設の要素があり、障害者施設の要素があり。複合的な児童福祉施設と言えるでしょう。

今回の鎌倉訪問で、音次郎の足跡を辿る中、盲学校と音次郎がつながっていたことも発見しました。

音次郎が晩年、盲学校の卒業式に参列している写真が見つかりました。
音次郎日誌には次のような記事があります。

T7.12.22 園父母鎌倉教会の礼拝に列する。4人の受洗者あり。ドレーパー博士の説教あり。
S14.2.27 岩崎氏横浜訓盲院に入院、退園す。

ドレーパー博士とは、横浜訓盲院の設立者です。音次郎会ホームページもこの事を契機に、視
覚障害者に配慮したホームページづくりをします。まずは、すべての画像に詳しい説明を付け
ました。(健常者には見えない改訂です)






事務局

四万十市立中央公民館内
「保育の父・
 佐竹音次郎に学ぶ会」

連絡先

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