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┃保┃育┃の┃父┃・┃佐┃竹┃音┃次┃郎┃に┃学┃ぶ┃会┃★┃通┃信┃
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┃ ┃音┃次┃郎┃会┃◆┃I┃N┃F┃O┃◆┃v┃o┃l┃.┃1┃9┃
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取引銀行 幡多信用金庫 下田支店 普通預金 88502
(名義)保育の父・佐竹音次郎に学ぶ会 会長 中平菊美
ゆうちょ銀行 振替口座 01650-8-43162
(名義)保育の父・佐竹音次郎に学ぶ会
音次郎会はまもなく満7年です。この7年、1週間の7日目が日曜日になるように感
染症の世界的流行によって音次郎会の活動もお休みになった感があります。会の運営と
しては8年目に突入して新しい周期、新しい活動に期待していきたいところです。
保育の父・佐竹音次郎に学ぶ会(通称:音次郎会)から会員の皆さまに会報(メール
マガジン)をお届けします。
◆◇INDEX◆◇
【1】4月定例会の御案内
【2】2022年度 定期総会の御案内
【3】日誌(複製版)について
【4】辞世の句碑の移設が完了する
【5】安藤眞副会長が逝去される
――――――――――――――――◆◇◆◇
【1】4月定例会の御案内
高知県立・高知城歴史博物館さんのご協力により進めてきました史料整理作業がいよ
いよ最後となりました。音次郎会に届けられたすべての歴史的資料の目録が完成するこ
とになります。
これらの史料に出席者が初めて手に触れ、記録をしていくまたとない特別な体験がで
きます。今後は元本保存のために特別な理由がない限りは複製にしか触れることができ
なくなります。ぜひご参加ください。
コロナ感染爆発の第6波が続き、そのまま第7波に突入しそうな世相ではありますが、
感染予防対策を充分に講じた上で実施したいと思います。当日、現場にも衛生用品は揃
えております。
日時:2022年 4月19日(火) 11:00-16:00(部分参加可能)
場所:音次郎会事務局(下田の若草園 西棟1階)電話 0880-33-0247
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【2】2022年度 定期総会の御案内
2022年度の音次郎会定期総会を以下の通り開催します。史料整理作業も終わり、これ
からの課題は如何にそれらを活用し、研究を深めていくかという新たな段階へと進みま
す。
音次郎が信奉したキリスト教では天地創造のとき7日目に神が休まれたのでそれが現
代の1週間の起源、日曜日の起源とされています。コロナウィルス蔓延により会の活動
もちょうど土日にあたる6~7年目には停滞した感は否めませんが、音次郎会は8年目
に入り、あたらしいサイクルの活動ができればと心機一転、とりくみたいと願います。
総会と言えば大げさですが、興味のある方で座談会のように活動に対して「夢」を語
りあう場となればと願います。ふるってご出席下さい。
日時:2022年 5月 9日(月) 10:00-12:00
場所:アピアさつき 2階屋上駐車場 事務所横会議室
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【3】日誌(複製版)について
電子化が完了した日誌(原本)について、閲覧に供するための複製作業が始まりまし
た。電子化に着手した時に特別寄付金100万円が寄せられ、それを元手に実施しており
ましたが、作業中にさらに別の篤志家から30万円が寄せられました。
音次郎会の資料室で2部は公の閲覧用に整備するべく、取り組んでおります。個人的
に研究をするために手元に保有したい方は実費1組12万円で頒布いたします。希望さ
れる方は事務局までご連絡下さい。希望者多数の場合は納期をいただく場合がございま
す。
複製版の仕様は以下の通りです。
サイズ A3(297mm x 420mm)、平均厚さ1cm、平均重量1kg
綴じ方 A3横とじ、見開き両面印刷
冊数 31冊(総重量 約31kg、保管体積 約30cm x 42cm x 30cm = 37.8リットル)
表紙(表裏) 上質紙180g
本紙 普通紙コピー用紙
印刷方法 PPCカラー印刷(複合機によるプリントアウト)
製本仕上げ ホチキス留め、製本テープ
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【4】辞世の句碑の移設が完了する
音次郎生家付近の史跡整備について取り組んでおります。先駆けに、文字が判読でき
なくなりつつある竹島集会所の辞世の句碑に案内板を設置する事になりました。
文面の検討に時間がかかってしまい、最終案ができた時点では年度末間際となり、移
設工事の土木業者さんや看板屋さんが繁忙期となり、年度内には完了できませんでした。
4月5日(火)の夕方、辞世の句碑の移転は完了し、11日(月)に看板も設置され
ました。
今回の史跡整備では記念碑自体を移設するという合理的判断を致しましたが、その経
緯についてはホームページにて詳しく説明しております。簡潔に申しあげますと、今ま
での設置場所も本来あった場所ではありませんでしたので、移設に踏み切りました。
看板にはホームページと連携できるようにQRコードが表示されており、詳しい説明が
手元で読めるように工夫されています。ご興味のある方は実物をご覧下さい。
移設工事の様子はホームページにて閲覧することができます。
――――――――――――――――◆◇◆◇
【5】安藤眞副会長が逝去される
安藤眞副会長が4月3日(日)未明、逝去されました。77歳でした。
安藤副会長は音次郎の長女・里の孫で、保育の父・佐竹音次郎に学ぶ会設立当初から
役員として活躍して下さいました。また2019年からは副会長として会の運営に中心的に
関わってくださっていました。
葬儀式は7日(木)四万十市内の葬祭会館にてキリスト教式により執り行われました。
祭壇には故人が愛用したカウボーイハットが飾られ、喪主である長男さんが「父は自由
奔放に生きて亡くなりました。父が自由に生きることができたのも皆さまのおかげです」
と謝辞を述べられました。
ご遺族に慰めがあるように祈ります。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 現在の会員数 111 名 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
2022.4.13 Wed
日本で初めて「保育」という言葉を生み出した「佐竹音次郎」に関心のある方、
入会希望者のご紹介など、お気軽にご一報ください。事務局から案内をお送りしま
す。現在、鎌倉子孫の御協力により鎌倉一円の会員が増えております。地元で興味
関心がある方があれば、ぜひ事務局に御紹介ください。
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│保育の父・佐竹音次郎に学ぶ会│ 会長 中平菊美
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各種お問い合わせは →→→ 四万十市下田2211(若草園内)
0880-33-0247 瀬戸へどうぞ♪
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┃保┃育┃の┃父┃・┃佐┃竹┃音┃次┃郎┃に┃学┃ぶ┃会┃★┃通┃信┃
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┃別┃冊┃
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【読み物シリーズ 6】
竹島神社は天満宮?
作:中平菊美
佐竹音次郎の著書と言ってもよさそうな「聖愛一路」の中に、音次郎17歳の時、
「天満宮に丑の刻詣りをした。」とある。また、「夢の碑」を天満宮に置いたとも、音
次郎が昭和14年に最後の墓参にと妻くまと連れだって帰郷していた時のことを書いた
乾 綾雄氏の文章の中に「音次郎から天満宮に奉納してほしいと2つの巻物(菅公の画
像と辞世の歌)を預かった。」ともある。
その天満宮は竹島神社のことであることは間違いなく、音次郎は竹島神社を天満宮と
呼んでいたことが紹介されている。
この記述を知った竹島出身者で、竹島神社が天満宮と呼ばれることを耳にしたことが
なかった方が疑問に思い調べた結果、「地元にはそのような記録が見当たらない。」と
いうことで、現在まで解明したい課題の一つとなってきた。そこで市民図書館で調べると、
次のようなことがわかった。
『鎮守の森の今』(竹内荘市著)によると、「竹島神社は岩越吾(五)兵衛が勧請、
元は天神宮と称した」とある。(補足:岩越吾兵衛は500年ほど前の岩越(竹島)の城主)
明治時代になり神社の名称変更が盛んに行われ、竹島神社と呼ばれるようになったの
だろうが、それ以前は天神宮と呼ばれていたということであろう。
また、辞典『大言海』(坂本嘉治馬の冨山房出版)によると、「天神宮は天満宮<天
満天神もしくは天満大自在天神が正式名称でその略称>でもあり、菅原道真を祀ってお
り、菅神宮と言われることもある」とある。
以上から考えると、音次郎が天満宮と書いているのは思い違いでなく、音次郎が子ど
もの頃には、天神宮とも天満宮とも呼ばれていたのが事実だと思われる。
参考までに、天満宮の由来を簡単におさらいしておこう。
時は、今から1300年余前の平安時代。京都に菅原道真という有能な人物がいて、右大
臣という重要な役職についていた。ある時、心当たりの無い罪に問われ、九州に左遷
(一種の追放)させられ、悲しみに明け暮れる中で亡くなる。程無く、御所に雷が落ち、
道真の左遷に関わったと思われる者たちが雷に打たれて亡くなる。それを人々は「菅原
道真が雷神になって仕返しをしたのだ。」と恐れる。更に、全国各地で地震や大雨、病
気や飢きんなどの災害が続き、これらも道真のたたりであると噂され恐れられるように
なる。
そこで、道真のたたりをしずめると共に、村の守り神になってもらいたいとの願いか
ら建てられたのが天満宮だそうだ。京都の北野天満宮が最初のもので、現在も全国に約
12,000社ほどあるそうである。
(注)竹島神社は近年、その神様は尾根続きにある岩越四所神社に合祀され、廃社と
なっており、鳥居や境内に至る石段、夢の碑が名残をとどめている。岩越四所神社は岩
越吾兵衛と武芸に秀でた4人の家来を祀ったものだそうである。